突然の訃報を受けて








それでも週末はやって来る。それでも競馬はやってくる。




何があったのかは分かりません。少なくとも、前後の出来事やこれまでの経緯を踏まえていたとしても、
あれこれ推測だけで言及することが良くないことは分かっています。




それでも、何かを考えなければ、何かを書き殴らなければ収まらない。
今日はそんな時間が終日、自分の中で続いていました。




ボクが競馬を見始めた頃の後藤浩輝騎手は、国際派の面白い騎手という印象。
日本にいても十分好成績を残せる状況ながら、コネなしでアメリカやイギリスの競馬場に赴き、イチから武者修業を行うことは、並大抵の人間が出来ることではないと聞きますし、そう感じます。




競馬を見ていくうち、後藤騎手にクレバーな印象を抱くようになりました。
積極的な騎乗の裏に、探究心。ペースによっては「レースに動き」を入れ、直線は追い出しを待って進路を見つける。そして、何より勝負どころで「勝ちに行く」騎乗。
奇しくも、ステイゴールドは先日亡くなりました。斜行により一着失格となった京都大賞典ですが、これも勝負の世界だから起こり得たと言えます。




近年の度重なる落馬や、6日前の落馬も、やはり勝負の世界での出来事です。
ファンも含めて原因を検証し、考察することは当然ですが、その側面だけは忘れてはいけないと感じます。




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1度目の横断幕作りの際には、かつて確執もあった師・伊藤正徳調教師からも、復帰のお祝いメッセージを頂いています。なんとなく嬉しくなったことを、ふと思い出しました。




結局のところ、いまは「やるべきことをやる。」しか答えが浮かびませんでした。
寝て起きたら、小倉の1Rが発走します。これ以上は考えていても、何も始まらない。




後藤騎手の冥福を祈りつつ、明日の予想を始めようと思います。
ザサンデーフサイチ、1年1カ月ぶりですか…。





(日本大学・松野凌也)


長い夢のその先に… ~追分ファームでの一幕から~





こんばんは。日本大学の松野です。
寒くなってきました。秋のG1シーズンも早半ば。欧州では平地シーズンが終わりジャンプレースの季節となります。今年もチェルトナム、グランドナショナルに向けて、白熱した戦いが始まります!






さて…






「むかし むかし 浦島は~」
…の歌い出しでもお馴染みの昔ばなしといえば、言うまでもなく 『浦島太郎』
先日とある会社が行ったアンケート調査で、日本人の多くが「浦島太郎の結末に納得していないという結果が出たそうです。









『浦島太郎』は時代に合わせて文体だけでなく、内容も改訂が繰り返されています。「時間旅行」を扱った古い物語の一つだと言えますが、こうした作品は昔から世界中に幾つも存在します。








その一つが、アメリカの作家 W・アーウィングが書いたお話 『Rip Van Winkle』
恐妻家の樵であるリップ・ヴァン・ウィンクルはある日、深い森の奥で迷い込んでしまいます。早く家に帰らないと妻に怒られてしまうと焦るリップは、とある小屋に住む見知らぬ老人たちと出会います。リップはついつい時間を忘れて、彼らとお酒を呑んで遊んでいると…気がついて家に帰ったら月日が20年近く経過しており、村に妻の姿は無く、アメリカも独立戦争を経てイギリスから独立していた…というお話です。







故・松田優作さんが役作りのために奥歯を4本抜いたことでも知られる映画『野獣死すべし』では、この『リップヴァンウィンクル』について言及する場面があります。電車の中で優作さん演じる凶暴なカメラマンの伊達が、捕まえに来た刑事の柏木(演じるのは昭和の名優・室田日出男!)と対峙するシーン…この時の優作さんの表情は、まさに「狂気」の一言







ところで、私たち競馬ファンが『Rip Van Winkle』と聞けば…
やはりアイルランドの競走馬・リップヴァンウィンクルを思い浮かべます。









今年の夏、うまカレが北海道の追分ファームに御邪魔した際のこと。
ただいま配布中のフリーペーパー『U』最新号の取材の一貫として、追分ファーム場長の吉田正志さんと追分ファーム・リリーバレーの調教主任である柘植要さんに、うまカレメンバーが質問出来る機会がありました。






そこで、メンバーの一人からこんな質問が…。







「バリードイル(柘植さんがアイルランド時代に所属していたA・オブライエン厩舎もある、世界有数の競走馬調教施設)にいた頃、凄いと思った馬は…?」







恐らくうまカレメンバーの多くはガリレオハイシャパラルといった競走馬の名前が出ることを想定していたはずです。







迷いながらも、柘植さんの答えはリップヴァンウィンクルでした。







「おー」っと唸る声が挙がれば、「意外!」という驚きの声もあり、「知らない馬名だ…」という反応も。






そのリップヴァンウィンクルは、先ほど馬名を挙げた2冠馬ガリレオの産駒で、母父は同じくアイルランドの名スプリンターであるストラヴィンスキー。イタリアの1歳セールでクールモアの代理人に安値で落札された同馬は、父親の現役時代と同じA・オブライエン厩舎に入ります。主戦は今年ジョッキーを引退し、以前から兼業していた調教師一本でのキャリアを決めたJ・ムルタ調教の段階から日ごとに評価が上昇し、デビューから連勝を飾ると、09年のクラシック有力候補として一気に注目されます。







…結果的に、シーザスターズという化け物が彼の同期にいたことは、言うまでもありません。






陣営は夏の英G1エクリプスSにてそのシーザスターズに3度目の敗戦を喫した後、マイル路線への転向を決定。挑んだのが、イギリス最高峰のマイルG1・サセックスS。1番人気に支持されたリップヴァンウィンクルは2馬身半差の快勝でこれに応えます。次いで、秋のマイルG1・クイーンエリザベス2世Sに出走。日本のG1ではあり得ない「4頭立て」ながら、これも危なげなく完勝します。





勢いに乗ってきたリップヴァンウィンクルはBCクラシックへの挑戦を決定。ジャパンカップもローテーションの選択肢となり、日本でも名前が一気に知られることとなりました。
しかし初ダートということもあってか、BCクラシック本番では良いところはなく、2番人気に推されながらも女傑ゼニヤッタに大きく離された10着惨敗。






実はリップヴァンウィンクル、2000ギニーに向けての調整の中間辺りから重度の脚部不安に悩まされていました。順調にレースを使うことが出来ず、ブリーダーズC敗戦後は長い休養に入ってしまいます。
復帰戦は翌年6月のロイヤルアスコット開催。そのクイーンアンSでは3番人気に支持されるも、ゼロ年代最強マイル女王の呼び声高いフランスの名牝ゴルディコヴァ相手に3着と敗れてしまいます





それでも復帰3戦目、真夏の中距離G1英インターナショナルSを1番人気に応えて3つ目のG1タイトルを奪取します。その後は愛チャンピオンSと連覇を賭けたクイーンエリザベス2世Sで2着と敗れ、脚部不安もあって2度目のブリーダーズカップ挑戦を回避した段階で現役を引退通算成績は14戦5勝。うちG1は3勝で、2着は4回







リップヴァンウィンクルはファンも多く、一度として3番人気以下がない競走馬でもありました。
そして、管理するA・オブライエン師や、主戦のJ・ムルタ騎手(現調教師)の評価も非常に高かったと言われています。柘植さんも「もっと勝てると思っていた。」と話して下さいました






追分ファームでのインタビューの際、柘植さんも、追分ファーム場長の吉田正志さんも、日々「勝つためにはどうすればいいか」を考えながら、競走馬の生産・育成取り組んでいると仰っていました。1勝が難しい競走馬の世界ですから、当然「2勝、3勝とする」ことはもっと難しいことです。ましてはG1となれば…。





とはいえ、リップヴァンウィンクルはそれ以上に大きな期待が寄せられていただけで、日本人に馴染みのある大レースこそ制してはいませんが、欧州競馬界での評価は非常に高いものです。
今夏に産駒がデビューを果たしていますが、早くも初年度産駒のディックウィッティントンが2歳G1のフェニックスSを優勝。リップと同じA・オブライエン厩舎の所属で、来年は父親の現役時代に立ちはだかったシーザスターズの産駒にリベンジを果たしての悲願・クラシック制覇が期待されます







フランケルを始め、テオフィロ、ニューアプローチ、ケープブランコと後継種牡馬争いが徐々に激化しつつあるガリレオ産駒。既にケープブランコ日本での種牡馬導入が決定しており、リップヴァンウィンクルの産駒も1歳馬が日本へ輸入されています。このまま順調に行けば、来年デビューになるでしょう。
現役を引退するということは、決して残念なニュースではなく、新たな戦いの始まりなのです。







ここ数ヶ月、競馬界では様々な動きがありました。良いニュースもあれば、残念なニュースもあって、出来事や取り組みの多くが賛否両論…批判の方が多かったかもしれません。また、私たち競馬ファンの在り方も問われていますが、その一方で、競馬に直接携わる人たちの在り方も問われています。
1つのレース、1つの予想、1つの出来事で、競馬を捉えてはいけないということ
様々な角度から競馬を見ることによって、新しい発見が生まれるはずです。






今回のフリーペーパー『U』Vol.11の取材では、本当に様々な事を考えさせられました。競馬に直接的に携わる人間接的に携わる人の第3者。一度に交流する機会というのはなかなかありません。だからこそ、互いにコンテクストの擦り合わせが可能なこうした機会を、今後設けていけたら…と強く感じます。
そして、今回の『U』は追分ファームの取材だけでなく、競走馬の余生に関する特別コラム(前後編)も掲載されております。

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是非、お手にとって読んでいただけたらな、と思います。設置場所は大井競馬場・船橋競馬場・川崎競馬場、また関東圏ではうまカレメンバーのいる大学や学生の使えるフリースペースに設置させていただきます。詳しくはこちら↓
http://umacollege.blog.fc2.com/blog-entry-377.html







競馬をもっと知るには、競馬を楽しむには、やはり「競馬をする」しか方法はありません。
自分の中の問いに対する答えは、自分の行動次第で「納得できるもの」にも「納得できない」ものにも変わり得るはず…。
競馬と自分…その答えを求めて、「リップ・ヴァン・ウィンクル」のように、今日も彷徨います。




大切なことはヒゲが教えてくれた~川島正行調教師と南関競馬~




こんばんは。日本大学の松野です。





夏競馬が終わり、あっという間に秋のG1戦線が始まろうとしています。今年のサマーシリーズは非常に難解なレースが多かったという印象。そのため夏のレース結果がそのまま中央開催に繋がるか否かを注視していく必要がありそうです。新潟開催が続行する点も考えないといけませんね。厳しい戦いが続きます(苦笑)





それはさておき…いま日本中を席巻している話題といえば錦織圭選手の話題でしょう!
全米オープン準優勝惜しくも優勝は逃しましたが、日本テニス界における快挙と言えます。




そんな錦織選手は「エアケイ」などでメディアに注目される前から、アメリカ・フロリダを拠点に力をつけていました。思えばここ数年で、日本でもスポーツ海外留学が盛んになっています。そうした「海外から世界へ挑む」という姿勢は、競馬界にも広がりを見せているという今日この頃…。




既にミルコ・デムーロ騎手クリストフ・ルメール騎手が今年のJRA騎手免許試験受験を発表。デムーロ騎手は2度目の受験となりますね。もちろん2人の動向には注目が集まっていますが、このように今後は日本人が海外で活躍するだけでなく、外国人が日本を拠点に世界で活躍する機会も増えそうです。日本競馬のグローバル化は始まっています。




「グローバルな視点」に対する見解は人それぞれあることでしょう。僕は語学や価値観の問題よりも、「従来の考え方に捉われないこと」が大事だと考えます。それは「これまで培った経験や教え」を新しい発想と擦り合わせていく作業が必要になるとも言えます。






「従来の考え方に捉われない」南関東競馬だけでなく地方競馬を代表する調教師で、ファンからは「ヒゲ」の相性でも親しまれていた川島正行調教師は、まさにその持ち主です。





川島師は元々競馬界と特別な縁がありませんdした。船橋競馬場の林正夫(林正人調教師の実父)厩舎から騎手としてデビューすると、通算786勝・船橋リーディング1回という成績を残しています。川島師は調教師として評価される場合がほとんどですが、これは仕方ないことかもしれません。




この頃の南関競馬は、佐々木竹見、高橋三郎、赤間清松、松浦備 (※敬称略) といった名手揃い。その数年後に桑島孝春、的場文男、石崎隆之 (※敬称略) らが台頭してくることを考えると、いかに当時の南関東競馬が激戦区であるかよく分かります。




1984年の南関東クラシック。川島騎手が騎乗した3歳馬は、あのロツキータイガー。前哨戦に騎乗していた「義理の人」桑島孝春騎手が自厩舎の馬を優先したためです。羽田盃は後方からの競馬となり、追い込むも届かずの3着。東京ダービーは羽田盃馬キングハイセイコーを最後まで捕らえきれずの2着。結果的に2冠を逃す形となりました。




この時に戦った相手は、2冠馬に輝いたキングハイセイコーと、後に「とある事件」に巻き込まれてしまうステートジャガー。2頭が強い競馬を見せたと言えますが、奇しくも桑島騎手に主戦が戻るとロツキ―タイガーの快進撃が始まり、カウンテスアップやテツノカチドキとの長きに渡る戦いへ突入したことから、ファンの間で「桑島が乗っていれば…」というタラレバが生じる気持ちも分かります。




川島「騎手」としての功績は「ダイオライト記念3連覇」です。東京大賞典2着など活躍したエドノボルでの連覇も含まれますが、この馬を担当していたのは「名匠」向山昇厩務員。大井時代は様々な名馬を担当し、定年後セカンドキャリアとして川島厩舎に加わった大ベテランは、かつてエドノボルの石川厩舎に所属。長い年月を経て再び仕事を共にする事になりました。



1987年に騎手を引退すると、1990年に調教師として厩舎を開業。競馬界と特別な繋がりのないことから最初は苦戦を強いられますが、それでも友人の演歌歌手・北島三郎さんが所有するキタサンテイオーが平和賞で1着となり、僅か2年で重賞を初制覇します。このキタサンテイオーは全盛期を迎えた石崎隆之騎手を背に全日本3歳(現2歳)優駿を制覇しますが、その後脚部不安を発症。休養を経て中央に移籍します。順調に使うことができれば、もっと良い結果を残せたかもしれませんね。




入れ替わるように中央競馬から移籍してきたのは、モガミキッカとサクラハイスピード。モガミキッカは萩Sを、サクラハイスピードはいちょうSをそれぞれ2歳時に制していましたが、その後クラシック戦線、古馬になってからスランプに陥っていました。




ここに「川島再生工場」は本格的に開業します。再び「走る気持ち」を起こすことに成功した2頭は、南関東重賞戦線に挑戦。モガミキッカは船橋伝統の一戦であるダイオライト記念を、サクラハイスピードは川崎記念や東京盃などを優勝します。ちなみにサクラハイスピードの主戦だったのは故・佐藤隆騎手。地方出身の自分としては、現地で見たかった騎手の一人です。




圧倒的にバックアップの少なかった川島師は、「馬を集める」ために次々と新規開拓を行いました。営業の面はもちろんですが、厩舎に花を飾ったり、日頃の身だしなみを徹底しているという話は有名です。
確かに欧州競馬を見ていると、スタッフはお洒落ですし、厩舎は綺麗に整備されています。先日北海道の追分ファームなどを訪れた際も、見える場所が徹底されていました。こうした心構えも大事ですね。




川島師は、足元に不安のある馬や中央競馬で見限られた馬を次々と引き取っては「再生」していきます。1997・98年にはそれぞれサプライズパワーとアトミックサンダーで東京ダービーを連覇。共に舛添要一現東京都知事の所有馬ですが、それはさておき。




アジュディミツオーが表舞台に登場する頃には、厩舎の主戦が石崎騎手から大井の内田博幸騎手にバトンタッチ。そのアジュディミツオーは船橋生え抜きの競走馬。気性面の課題を改善しながら、地方競馬を代表するスターホースへと成長しました。ちなみに気性面と言えば、川島師はマグニフィカを復活させたほか、現在はクラーベセクレタも回復傾向にあります。引退までにもう一度力を見せることが出来るでしょうか。




ミツオーはドバイワールドカップに遠征し、ロージズインメイの6着。結果は残念でしたが、地方競馬からのドバイ遠征を見事に成功させました。今では南関競馬から韓国への遠征も恒例となりつつあります。これも、川島師が従来の考え方に捉われずに海外遠征という道を切り開いた結果かもしれません。アジュディミツオーは引退後種牡馬となり、先日初年度産駒のミツコが優勝しました。




調教師としての勝利数は通算1276勝、重賞通算139勝。なんといっても勝負の時の馬の仕上がりは、中央馬を超える雰囲気がありましたね。改めて、長い間お疲れ様でした。そして…ありがとうございました。今後は一番弟子の佐藤裕太元会長が開業予定。もちろん応援していきます!







さて、地方競馬の話題で論争の火種になるワードが幾つかあります。
「地方競馬は中央競馬の2軍だ。」「いや、そんなわけがない。」
「生え抜きじゃなければ活躍しても意味がない。」「地元馬のレベルが低くてつまらない。」

こうしたフレーズの本質は、競馬に限らず、多くの社会問題にも通じるところがありそうです。





川島師は、中央競馬リーディングを取り続けていた頃の藤沢和雄厩舎を研究していたように、中央競馬を「意識」していました。逆に中央競馬関係者にも、川島師を始めとする地方競馬での取り組みを意識している人物は少なくないと聞きます。そこに中央・地方の優劣はありません。





中央競馬と地方競馬。どちらにも良い部分と、課題があります。そしてそれらは関係者だけでなく、ファンも一緒になって考えていく必要があります。川島師は中央・海外競馬だけでなく、常にファンを「意識」していました。パドックで見かけるオシャレな姿はもちろん、ファンサービスや、ユーモアあふれるレース後のコメントなどが、まさにそれですね。また、ナイター競馬の計画にも協力的だったそうです。





一番最初の話に戻りますが、錦織圭選手の活躍の裏には世界ランキング最高2位という経験面とメンタル面で心強い味方となるマイケル・チャンのコーチ就任が大きいと報じられています。専属トレーナーのダンテ・ボッティーニと対照的な性格である彼の加入は、勝つために「従来とは違う考え方」を取り入れて、「意識」を改革することができた成功例と言えるのかもしれません。





私たちは馬に囲まれた生活を四六時中送っていませんし、正直ピンとこない事柄の方が多いです。だからこそ、これから少しでもファンと関係者の間にある壁を取り外していける機会を設けることが出来たらなと、そして、中央競馬と地方競馬の枠を取り払って、広い視点を意識しながら競馬をこれからも見ていきたい…なんて考えてみたりする晩夏でした。






さて、うまカレブログ内で行われている「夏の回収率王決定戦」も残すところあと1回となりました。
最終戦はセントウルSです。こちらもお楽しみに!
それでは…。

「どこまで行けば…サクセス」~ラムタラ死去に想う~

こんにちは。日本大学の松野です。




ゴールドシップが宝塚記念を優勝してはや2週間…




2013年度もサマーシリーズがスタートしています!
既に「サマースプリントシリーズ」は白熱していますが、「サマー2000シリーズ」は今週の七夕賞からスタートです。昨年度はトウケイヘイローが函館記念と札幌記念を連勝しチャンピオンに。一流古馬戦線の仲間入りを果たしましたね。



 
そんな七夕賞は過去に「1番人気馬が26連敗した」記録を持つ伝統のハンデキャップ戦として知られ、毎年馬券的にも面白いレースです。昨年度は、マイネルラクリマが1番人気に応えましたが、14番人気のタガノエルシコが3着に差してきて波乱となりました。(個人的には2着がトレイルブレイザーじゃなければ…)





夏の運試しに、遊び資金作りに…
今週末は「☆(穴馬)に願いを」込めて、ひと勝負してみては







さて…





今週はラムタラが死亡したというニュースが届きました。






ラムタラというと、今では「ヒルノダムールの母父」というイメージが強いかもしれません。
「ハマの番長」こと横浜DENAベイスターズ三浦大輔投手の所有馬リーゼントブルース、黒潮盃と戸塚記念を連勝した船橋のトラバージョも母父ラムタラに該当します。



そんなラムタラは「神の馬」とも称される競走馬でした。世界の競馬界でも名高いエプソムダービー(英ダービー)、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(キングジョージ)、凱旋門賞という欧州3大競走を完全制覇。通算成績も無敗の4戦4勝。まさに、1990年代を代表する「名馬」の1頭です。



一方で、不可解なままでのレーティング(競走馬の能力を格付けしたランキング)低評価や、種牡馬としての成績不振などから「不運な馬」とも評されることが多いです。中には、96年に日本に輸入されて06年に再び英国へ輸出されるに至るまでの経緯を「黒歴史」と語る人もいますね。




何を以て、この種牡馬は《成功》とするか…もしくは《失敗》とするか…。
その線引きは、競馬ファンによって違うことでしょう。




かつて日本競馬界は「種牡馬の墓場」と世界から言われていた時代がありました。現役時代は英愛ダービーやキングジョージを優勝しながらも、来日後産駒が中央競馬でオープン馬すら出せ無い、惨憺たる結果に終わったグランディ。最終的には繋養先を栃木、鹿児島と転々し、1992年にひっそり病死しています。



米年度代表馬にも輝いたファーディナンド(マンチェスターUで香川真司選手とも仲の良い選手ではないです)。ケンタッキーダービーやBCクラシックを優勝するなど通算成績29戦8勝を上げた同馬も、来日後の産駒成績は悲惨な結果でした。最後は「廃用」となり、消息を断ちます。後に、ロイターやAPなどで「食肉として処分された可能性が高い」という報道が成され、国内外で問題となりましたね。





話をラムタラに戻します。





毎年秋に、その年の欧州競馬界を表彰するカルティエ賞。ミルリーフ以来史上2頭目の欧州3大競走《英ダービー、キングジョージ、凱旋門賞》制覇を無敗で成し遂げたラムタラは、断然の年度代表馬候補として期待されていました。




ところが、年度代表馬に選出されたのはラムタラではありませんでした。受賞したのは牝馬リッジウッドパール。この年だけで愛オークス、コロネーションC、ムーラン・ド・ロンシャン賞、BCマイルを優勝しており、実績は申し分ありません。しかし、格式高い欧州3大競走を無敗で制しているラムタラとの差は一体どこなのか…この選考は物議を醸します。




背景には、前述した「レーティングの低さ」というのがありました。
このカルティエ賞は、各欧州重賞競走のレーティング、イギリス競馬記者の投票、そして競馬新聞の読者投票の合計ポイントで決定されます。当時のレーティング審査会は「ラムタラの勝ったレースは強いメンバーが揃っていなかった。また着差も接戦だった。」と見解し、ラムタラの勝った各レースに歴代でもかなり低い点数が付けられていたのです。




まず、個人的に「単純に着差だけで強さを判断する」というのは好きではありませんが…それを置いておいて、この時ラムタラはカーネギー、ペンタイア、スウェイン、ランドを僅差で完封。一方のリッジウッドパールは、クイーンエリザベスⅡ世Sで凱旋門賞馬サキ―の父でも知られるバーリに6馬身ちぎられた2着がありました。この辺り判断は難しいかもしれません。



低評価の背景にイギリス競馬界全体の「ゴドルフィンに対する不信感」があったという話もあります。昨年、ゴドルフィンの専属調教師であるマームード・アル・ザルーニ師がイギリス・ニューマーケットに在厩する管理馬十数頭に処置を施していたことが発覚した際も、この手の話はありましたね。



日本でも、ダーレージャパンの設立やアドマイヤムーン・シーチャリオットの移籍で揺れた際に、一部でそういった空気が流れた覚えがあります。あのジャパンカップの時がまさに…そうです。



もちろん、イギリス人の心情を計ることはできませんし、スキャンダルに対して「消費的な」記事や報道は日本でもよくある事です。一概に、イギリス競馬界全体がラムタラやゴドルフィンに否定的ということはないでしょう。しかし「過度な報道」は実際にあったそうですし、競馬は別に中東やアジアに対する偏見が残っているという話も聞きます。私たち人間は、「差別」と「偏見」ほど見て見ぬフリをしがちですから…






また、話が逸れてしまいました。
現役を退いたラムタラは、無事イギリスのダルハムホールスタッドで種牡馬としての生活をスタートさせます。日本からオファーが来たのは、その翌年です。



ラムタラを導入したのは日高地区の生産者と馬主たち。「アロー」の冠名でお馴染み矢野秀春氏や藤原牧場とブリーダーズユニオンの代表である藤原悟郎現ジェイエス会長が中心に立ちました。交渉に当たっては、1回目の提示額2000万ドル2回目の提示額2500万ドルでは断られ、3回目の提示額3000万ドルでようやく交渉が成立したそうです。




導入に当たっての一番の動機は「バブル崩壊による競走馬市場の冷え込み」でした。国内市場で盛況なのはノーザンテースト、サンデーサイレンスと次々成功を収める社台グループのみ。日高地区の生産者たちにとって、この事態を打開する「切り札」が必要だったのです。その「切り札」こそが、ラムタラ。




日高の負債総額は500億円以上。「金に物を言わせて種牡馬を買い漁る」なんて悠長な話ではありません。懸念する声もあった反面、ラムタラに「救世主になって欲しい」と期待した人は多かったことでしょう。





そして…




2006年。結果として種付け価格が50万まで下落していたラムタラは、24万ドルでダルハムホールスタッドに買い戻されました。その後は種牡馬を引退し、残りの余生を過ごすこととなります。




「精神力や根性で走るタイプは、潜在能力は高いタイプよりも種牡馬として成功の確率が低い」と言う話を聞きます。また、既に一大勢力を築きあげていたニジンスキーの直仔で、ノーザンダンサー2×4というクロスは、やはり繁殖馬を選びます。年月を重ねるごとに種付け頭数が減ったのも分かる気がしますね…まだ日本に母父ヘイロー、ミスプロ、グレイゾヴリン系が豊富でなかった時代です。仮にモハメド殿下が手元に残していても、ラムタラが種牡馬として成功していたかは分かりません。





とはいえラムタラが来た当時、多くの競馬ファンが興奮したのは事実ですし、今でも私たちの記憶に残る名馬に変わりはありません。




ラムタラの後に導入された、距離延長でお馴染みスキャターザゴールド。決して種牡馬として《成功》とは言えない成績でしたが、それでも天皇賞(春)で好勝負を見せたエリモエクスパイアがいて、シーズザゴールドは今でも金沢で頑張っていて…私たちの記憶に残っています。
また、シーロ産駒の重賞馬ブルーラッドは先日高知競馬で復帰しています。ただコロニアルアッフェアーは…残念ながら昨年アルゼンチンで亡くなっていますね。



他にも日本競馬の長い歴史の中で、数々の種牡馬が成績を残せずに消えていきました。
しかし、これら種牡馬導入の《失敗》の繰り返しがパーソロン、テスコボーイ、ノーザンテースト、サンデーサイレンスという大種牡馬を登場させ、《成功》を収めたことを忘れてはいけません




日本は《失敗》に厳しい国と言う人もいますが、他の国も《失敗》に十分厳しいと思います。
問題は「《成功》と《失敗》の捉え方」にあるのではないでしょうか。




「伝説の登山家」で知られるラインホルト・メスナーは、エベレストやナンガ・パルバットといった8000メートル峰や、南極大陸などの大陸横断に挑んでは、「無理だ」と思ったら直ぐに引き返していたそうです。 そして「今回は(も)ダメでした」と会見して、直ぐにまた再チャレンジして…ついに史上初の「8000メートル峰全14座完全登頂」を無酸素で成功させたのです。



この背景には、チャレンジする側だけでなく、チャレンジを受け入れる側にも「1つの《成功》と《失敗》に捉われない風通しの良さ」のあった事が、大きいと考えられます。





ラムタラの「導入」は《失敗》だと思います。
しかし、ラムタラが「日本に来たこと」が《失敗》だと、現段階では思えません。





後者の問いが《成功》か《失敗》か分かるのは、もっとずっと…未来の競馬界のはずだからです。私は一人の競馬ファンとして、これからも多くの《成功》《失敗》を見届けていきたいと、強く感じます。
















本日はここまでです。




さて、恐らくこの後うまカレブログの方では夏の新企画がスタートするかと思われます。
また、夏号のフリーペーパーも、間もなく完成の予定です。
こちら合わせてよろしくお願いします。





うまカレは、夏も競馬にアタックしていきますよ!




RESET!~ダービーウィーク回顧~



こんばんは、日本大学の松野です。






2013年のダービーウィークが終了しました!
あっという間の2週間でしたね注目の日本ダービーはワンアンドオンリーが優勝!管理する橋口弘次郎調教師は、定年まで約2年を残しての悲願のダービー制覇を果たしました。






そして本番・東京ダービーはハッピースプリントが圧勝!
「笑点」でお馴染み三遊亭好楽師匠も応援に駆け付けた辻牧場さんは、日本ダービーにもアドマイヤデウススズカディヴィアスの2頭出しも行い、まさに絶好調ですね。
一方で、今年も残念ながら的場文男騎手の悲願は達成されませんでした。来年こそは…期待しましょう






そういえば3月に僕が書いたブログの記事では、ハッピースプリントとワンアンドオンリー2頭同時に触れていたのを覚えていますか?→http://umacollege.blog.fc2.com/blog-entry-257.html





こんなところにダービー馬のヒントが隠されていたんですね(違う)
ワンアンドオンリーは秋の神戸新聞杯で始動、ハッピースプリントは夏のJDDに参戦する予定です。
今後の活躍にも期待しましょう








さて・・・






「ダービーは最も運のいい馬が勝つ。」






有名な競馬格言の一つですね。
昔から「勝敗は兵家の常…」とも言われますが、ご存じの通り競馬は「絶対」がない競技です。最後の最後までレースで何があるかは分かりません。






競馬の祭典とも言われる日本ダービー。その長いレースの歴史の中では、様々な名馬が誕生しました。






一方で「有力馬の不運」の歴史を忘れてはいけません。
例えば1934年…第3回東京優駿大競走(当時の日本ダービーの名称)で最有力候補に推されていたのは3歳馬にして天皇賞(当時の名称は帝室御賞典)に出走し、前年のダービー馬カブトヤマ以下を破って優勝したミラクルユートピアでした。ところがダービー当日の朝にこのミラクルユートピアは調教中故障を発し、競走能力を喪失してしまいます。結局このまま引退、日本最初の「幻のダービー馬となったのです。




‘不運’という意味ではダービーはその格式の高さから出走を希望する馬も多く最高で33頭が出走する年もありました。これがレース中の衝突や落馬、進路妨害を度々引き起こす要因となり、1949年には2番人気の桜花賞馬ヤシマドオターら3頭が落馬するアクシデントが、1954年にはスタート直後に1番人気ダイナナホウシユウが大きく不利を受けるアクシデントが起きています




また、かつて「ダービーポジション」なる言葉がありました
上記のように多頭数では最後の直線で後方から馬をさばくのは困難。そのためダービーを勝つには「スタートして第1コーナーを回る際に、前から10頭以内の位置取らなければならない」という格言が生まれたのですこれを無視して勝った馬の代表として、三冠馬ミスターシービーが挙げられますね






このようにダービーは各馬能力をフルに発揮できないケースが多く、「最も‘運’のある馬が勝つ」と言われ続けていました。しかし、年月が経つにつれ調教技術の向上やフルゲートが18頭に設定がなされたことから、これら‘不運’の起きる確立は減少していきます






話は変わって。






日高地方にある家族経営の林牧場で誕生した2006年の日本ダービー馬メイショウサムソン
当初1歳になっても買い手がつかず売れ残っていたサムソンは、林牧場を訪れた名伯楽・瀬戸口勉元調教師に気に入られ同じく馬を探していた『メイショウ』の冠名でお馴染み松本好雄オーナーに勧めたところから物語は始まります





『人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる』





かつてうまカレブログでも紹介した、『メイショウ』の冠名でお馴染み松本好雄オーナーの座右の銘です。こうして僅か700万円で取引されたメイショウサムソンの獅子奮迅たる活躍は、この場を借りて説明するまでもないでしょう。松本オーナーが重んじる「人とのつながり」を通して誕生したメイショウサムソン。まさに「名馬の物語あるところ人の縁あり」を象徴するエピソードの一つと言えます




今年の日本ダービーも「人の縁」が大きく関わっていました
優勝したワンアンドオンリーは、スタートから掛かり気味に先手を主張し、じわじわとペースを上げながら抜群の手応えで直線に向くと、最後はイスラボニータを競り落としての優勝





前述の通り、同馬を管理する橋口弘次郎調教師は定年まで約2年を残して悲願のダービー制覇同時にワンアンドオンリーの父は橋口厩舎を代表する競走馬の1頭であるハーツクライ。そのハーツクライが2004年の日本ダービーで惜しくも2着だった際の鞍上が、ワンアンドオンリーの主戦・横山典弘騎手その横山騎手は、2009年に橋口厩舎所属のリーチザクラウンをロジユニヴァースで破り、悲願のダービージョッキーとなっています





こうした不思議な「縁」も重なって…見事ノースヒルズは昨年の日本ダービー馬キズナに続いてダービー連覇を果たしたのです






「ダービーは最も‘縁’のある馬が勝つ。」






「ダービーポジション」といった格言が使われなくなりつつある今、新しい「ダービーの格言」としてこんなのはいかがでしょうか?たとえ競馬予想には直接繋がらないファクターであっても、競馬そのものを楽しくさせるファクターとして十分役割を果たしてくれる気がします





競馬予想の観点では過去のものとされるこれら「競馬の格言」ですが、いつまでもファンと競馬の間を繋ぐ「楽しみ方」の一つとして後世に残って欲しいなと、僕は思います













こうしてダービーウィークは終わり、競馬界の新しい1年が始まりました。
2歳新馬戦のスタート…POG新シーズンの開幕です!





5月24日にドラフトが行われた大学対抗POGもすでに順位が変動してます。是非ご確認ください。→http://pogstarion.com/groupuserlist.do?group_num=0528144511





いよいよ来週にはアヴニールマルシェ(母ヴィートマルシェ)が登場。ディープフォルツァ(母チナンデガ)やロジチャリス(母プラチナチャリス)との対決が注目を集めています。必見です!





そんな感じで…本日はここまで。


プロフィール

うまカレ


全国の大学に在る競馬サークルのメンバーを中心とした競馬を愛する学生たちが既存の競馬ファンだけでなく、競馬をやったことのない人たちにも『競馬の楽しさや素晴らしさを伝えよう!』と立ち上げた学生団体です。

学生競馬ファンのリーディングとして、主に学生を中心とした同年代へ向けて、競馬の素晴らしさ、面白さを様々な視点やコンテンツを通じて紹介し、競馬文化の普及、競馬事業への文化的支援を行うことを目的としています。

オグリの時代に生まれた僕らで
オグリの時代の熱狂を、もう一度。

※2005年より20歳以上であれば学生でも勝馬投票券を購入できるようになりました※

お問い合わせ
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