記録にも、記憶にも残る名馬~旅の続き~





皆様こんにちは、お久しぶりです、現在第21次ロールケーキブームが到来しているうまカレ初代代表佐藤ワタルです。


特にフルーツロールケーキがマイブーム。今年も甘党の道をひたすら邁進しています。この道、ゴールは病院ですね。



そんな今日この頃。


もうすぐ桜の季節、しかし寒い日が続きますね…
外は寒い、財 布の中も寒い…皆さんがそういう状況になっていないことを願うばかりです。

競馬のほうは1回東京開催が終わり、2回中山開催が始まりました。もう春のトライアルシーズン。着実に春はすぐそこまで来ています。



さて…前回、4ヶ月前の血統話は凱旋門賞後ということでゴールドシップとメジロ牧場、北野社長の執念を取り上げました。


今日は、馬へ懸ける執念は北野社長を超える、日本競馬を変えたホースマンと、とある馬について、のんびり書いていくことにしましょう。


今回も長いです。お手元に飲み物とおつまみのお菓子やケーキの用意はできていますか?




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この前、とあるお店でパンケーキの早食いを敢行していた際、お店のBGMで懐かしい曲が流れてきました。『We Are The World』
1985年に発売されたこの曲を知らない人はあまりいないのではないでしょうか。


マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチ―というレジェンド2名によって作られたこの曲は、多数の大物ミュージシャンがレコーディングに参加したことで有名です。

あれから30年。シンディ・ローパー先生の髪の色はあれから何回変わったのでしょう…



まあそれはどうでもいいのですが、このWe Are The Worldのレコーディングに参加していた、アメリカを、そして世界を代表するミュージシャンの一人がスティーヴィー・ワンダー。

スティーヴィー・ワンダーは生まれてすぐに目が見えなくなったものの、数々のハードルを乗り越えて現在の地位を確立したことで知られています。

今日はスティーヴィー・ワンダーの楽曲から名付けられ、多くのハードルを乗り越え、数多くの人々の想像を超える活躍を見せた迷…名馬の話をしていきましょう。


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今、日本で最も活躍馬を輩出している牧場は?と聞かれたら、あなたはどう答えますか?

私は千代田牧場贔屓ということもあり、 たぶん『千代田』と答えるでしょう(実際昨年末からスゴい勢いなんです!)



まあこの質問に対して、たぶん聞かれた100人中99人が、社台グループのいずれかの牧場の名前を挙げるでしょうね。

実際社台グループ生産馬のレベルの高さはビッグレースの結果が証明していますし、日本競馬を世界水準に引き上げたのは間違いなく社台グループです。


そんな社台グループの基である千葉社台牧場が誕生したのは1955年。今からちょうど60年前ですね。

創業者は吉田善哉社長。

現在社台グループを牽引する『吉田三兄弟』の父であり、日本競馬界に大きな足跡を残した人物として知られています。


善哉社長は馬に対して妥協せず、非合理的なものを嫌う人物だったとされています。海外から多くの種牡馬を輸入するなど、戦後から世界を意識していた善哉社長の下で、社台グループは成長していきました。


ただ種牡馬というのはほんの一握りが成功し、大多数の種牡馬は失敗とされる厳しい世界。ここ最近社台が輸入する種牡馬は大体ある程度成績を残していますが、一昔前の社台の輸入種牡馬の成績はお世辞にもいいとは言えないもの。いわゆる『当たり』とは言えない種牡馬の輸入が続き、一時期牧場の経営は危険水域に到達します。



その窮状を救ったのが、大種牡馬ノーザンテースト。(ノーザンテー ストの話は『星になった聖剣~デュランダル~』http://umacollege.blog.fc2.com/blog-entry-178.htmlで)

ノーザンテーストは20世代連続で産駒が重賞制覇するなど、社台グループの発展に大きく貢献。ノーザンテーストはまさに『社台を変えた馬』と言えます。今も北海道・ノーザンホースパークには吉田善哉社長とノーザンテーストの像がありますね。

ノーザンテーストは社台グループに繁栄をもたらし、善哉社長に初のダービータイトルをもたらすダイナガリバーを輩出。ガリバーはいくら失敗しても諦めなかった善哉社長の執念が生みだした馬かもしれません。




1979年春。社台ファームでロイヤルサッシュという繁殖牝馬が、1頭の鹿毛の牝馬を出産。父に大種牡馬ノ ーザンテーストを持つこの牝駒が、のちのダイナサッシュ。
ノーザンテースト産駒がまだ走りだしたあたりで、近親に活躍馬はいるものの、いわゆる超良血というわけでもなく、母ロイヤルサッシュの父は善哉社長があまり好んでいなかったとされるプリンスリーギフト。善哉社長の期待度はそこまで高くなかったかもしれ ません。


実際ダイナサッシュは競走馬デビューするも、9戦0勝で現役を引退。ここまではどこにでもいるような凡庸な競走馬だったと思います。

そこまで大きく期待されず繁殖入りしたダイナサッシュに交配された種牡馬がディクタス。



ディクタスはフランスで競走馬生活を送り、マイルG1ジャックルマロワ賞を制覇。フランスで種牡馬入りし、ある程度の実績を残していたところで社台グループが購入。
購入した決め手は定かではありませんが、マイルからクラシックまで勝った距離適性、そしてワーデンなど善哉社長が好きだったとされる血を持っていたことも決め手の一つだったかもしれませんね。



ディクタス自身、普段おとなしい割に突然暴れるなど気性に難があったとされますが、ダイナサッシュの子にもその難しい気性が遺伝。

1985年に社台ファーム白老(現在の社台コーポレーション白老ファーム)で産まれたダイナサッシュの2番子にあたる牡馬はとにかく気性が悪く、突然立ち止まる、突然立ち上がり2本脚で歩き始め騎乗者を振り落す、近づくと噛む、手綱を引っ張っても動かない…

この牡馬は数々の逸話で目立っていただけでなく、栃栗毛で金髪、ド派手な流星を持つなど外見も目立っており、調教でも抜群の動きを披露。

その乗り味を誰しもが絶賛したと言われるこの牡馬が、後にサッカーボーイと命名され、今月末をもって引 退する小野幸治厩舎でデビュー。1988年マイルCSを制覇することとなります。
爆発的なスピードが身体へ大きな負担を掛けていたためか競走馬生活は長くありませんでしたが、1988年の函館記念で樹立した函館レコードは今も破られていません。



サッカーボーイが活躍した1988年に産まれたダイナサッシュの5番子にあたる牝馬も、全兄がサッカーボーイということでかなりの期待を掛けられ…ますが、競走馬デビューするも5戦未勝利で故障、引退。

不本意な成績を残して繁殖入りしたこの馬が、ゴールデンサッシュです。


このロイヤルサッシュの一族は気性があまり良くないことに加え、身体が小さいというネックがある ことで知られており、サッカーボーイも牡馬ではそこまで大きくない部類に入る450キロ前後、ゴールデンサッシュは420キロほど。ゴールデンサッシュも使い減りしたりしなければ活躍できた…かもしれませんね。




繁殖入りしたゴールデンサッシュが2番子に牡馬を産んだのが1994年のこと。

この一族らしく小柄なこの牡馬は、特に目立つこともなく、すくすく成長していきます…


が。


育成段階に入ってから、この牡馬の気性は豹変。周りの馬に噛みつく、担当者を襲う、急に立ち上がる、そのまま2本脚で歩くなど、伯父にあたるサッカーボーイを彷彿とさせる『問題児』に成長。


そうですね。彼が今日のお題、ステイゴールドです。


『ゴッドファーザー』などで知られる世界的映画監督、フランシス・フォード・コッポラが監督の映画『アウトサイダー』の主題歌で、スティーヴィー・ワンダーの楽曲 『Stay Gold』が名前の由来とされています。


4足歩行の馬が2足で歩く、この芸当は相当な腰の強さがないとできません。身体の柔らかさなども相当だったのでしょう。

気性の強さは伯父サッカーボーイ、母父ディクタスに通ずるものがあり、小柄ということも含め、まさにロイヤルサッシュ一族『らしい』馬と言えるかもしれません。



その後栗東の名伯楽・池江泰郎調教師の元に預けられたステイゴールド。
気性難は相変わらずで、騎乗者を振り落すのは日常茶飯事、すぐに栗東で有名な馬となります。別の意味で。

ただ、振り落した騎乗者の落馬後の様子を見るなど、気性難、というより人を試すような 、賢さからくる行動だった、という説もあります。乗ってるほうからしたらたまったもんではないでしょうが。。


池江厩舎を代表する名馬・メジロマックイーンも賢く、人を選ぶ馬だったという話が残っていますが、その2頭による配合で生まれたオルフェーヴル、ゴールドシップなどもただの気性難とは言えない気はします。



ステイゴールドの現役時代に関しては広く知られていることですし、あえてここで詳しく書かなくてもいいでしょう。

デビュー3戦目、4コーナーで逸走、Uターンして鞍上の熊沢騎手を振り落して競走中止など、問題児ぶりをいかんなく発揮。

その後も本気で走らない、手を抜くな どを繰り返し、主な勝ち鞍が3歳夏の1000万条件・阿寒湖特別のままG1で2着4回。

現6歳時に目黒記念を勝って重賞初制覇となりますが、場内では大きな拍手が起こるなど、多くの ファンに愛される存在へと成長します。


その目黒記念の一週間後に競馬を始めた私にとって、競馬人生で数多くある後悔の一つが、もっと早く競馬を始めてこの記念すべき?目黒記念を生で観たかったということです。



目黒記念を勝って重賞ウィナーの仲間入りをしたステイゴールド。翌年中東・ドバイで行われたシーマクラシックで、その年ヨーロッパ古馬最強ともいえる活躍を見せたファンタスティックライトを破る大金星を挙げるなど、常にファンの想像の上を行く馬でしたね。


そしてその年の冬。引退レースとなった香港ヴァーズで絶望的な位置取りからエクラールを差し切り、引退レースでG1初制覇。

レース映像を 観ると分かりますが、常に左にモタれる癖のあったステイゴールドが、なぜかこのレースは右にモタれています(笑)

騎手も焦るでしょうが、そこは日本を代表する名手である武豊騎手、すぐに態勢を立て直しながら手前を変える神業を披露。

最後の最後で人馬一体となったことが、『翼が生えた』とまで言われる凄まじい末脚に繋がったのでしょうし、もちろん若いころから競馬を教えてきた熊沢騎手、そして根気強く接してきた厩舎スタッフの努力の積み重ねの結果でもあるでしょう。


ドバイで倒したファンタスティックライトも、香港で倒したエクラールも、どちらも鞍上は世界を代表する名手ランフランコ・デットーリ。

デットーリはステイゴールドが香港ヴァーズを最後に引退するこ とを聞き、『それは僕にとっていいニュースだ(笑)』と喜んだそうです(笑)あのデットーリにここまで言わしめた馬はステイゴールドの他にいるのかどうか…




香港ヴァーズ後、引退、種牡馬入りしたステイゴールド。最初はそこまで期待される存在ではなかったものの、自身は7歳冬に初G1制覇だったのに2歳王者ドリームジャーニーを輩出するなど、種牡馬入り後もファン、生産界の想像の上を行っていた同馬。その後、オルフェーヴル、ゴールドシップなど数々の強豪が輩出されていくこととなります。



そして。



今年、2015年2月5日。ステイゴールドは突然この世を去ってしまいました。常にファンに驚きを与えていた彼は、最期まで、ファンに驚きを与え、星となりました。



現役時代、気難しく、左にモタれる癖があったステイゴールド。活躍した産駒にも気性が難しい、少々変わった馬が多いのも特徴ですね。


すぐに思い出されるところでは、オルフェーヴルの新馬や菊花賞のゴール後、そして今や伝説となった阪神大賞典の逸走がありますし、ゴールドシップも乗りこなすのが難しいタイプ。ナカヤマフェスタも調教コースで突然止まったり、調教コースの入り口で立ち止まり動かなかったりする馬でした。

ドリームジャーニーにしても気の強さがあり、左回りで内にモタれるところは父ステイゴールドと一緒。新馬勝ち以降、結局左回りで勝つことなく引退。


現役だと、直線で両隣りに馬がいないと競馬を投げ出す5勝馬コアレスドラード、力はあるのに乗り難しく出世が遅れているロンギングゴールド、グリーンラヴ、マクベスバローズ、マイティースコール…次々と名前が出てきます(笑)


今年の3歳にはココロノアイという期待の牝馬が登場。彼女も昨年のアルテミスステークスを思いっきり引っかかりながら勝ち、阪神ジュベナイルフィリーズではゴール後制御不能状態に陥るなど、お転婆ぶりをいかんなく発揮していま す。

ちなみにココロノアイの馬名由来は、スティーヴィー・ワンダーの楽曲『心の愛(I Just Called to Say I Love You)』から取られていることで知られており、父であるステイゴールドを意識した名前。管理調教師の尾関師とっておきの名前だったようです。




産駒だけではありません。ロイヤルサッシュ一族はステイゴールドを輩出した後も活躍馬を次々に輩出。


強敵相手に常に善戦するも勝ち切れなかったドリームパスポート。彼はステイゴールドの甥にあたります。さすがにステイゴールドほど小柄ではないですが、牡馬としてはそこまで大きくない身体で奮戦するも2、3着を重ねる姿にステイゴールドの面影を感じた人も少なくないはずです。


G2を6勝し、『ダビスタ』の開発者である薗部博之氏がオーナーのバランスオブゲームは、母のいとこがステイゴールド。
3歳時の弥生賞で引っ掛かるも、ラチ沿いのカラスを見て落ち着きを取り戻すという不思議な馬でしたが、彼もまたG1で一歩足りない成績が続き、ステイゴールドを思い出した人も多いことでしょう。
バランスオブゲームの半弟であるフェイムゲームは更なる飛躍が期待されています。兄が獲れなかったG1を獲れる日が来るのか、楽しみですね。


タマモ〇〇〇プレイで知られる母ホットプレイの兄弟たちもステイゴールドの近親…というには少々遠いですが、親戚です。タマモトッププレイを筆頭にこちらも兄弟そろって気性が悪いですが、タマモベストプレイが現役で頑張っています。


昨年芝スプリント戦線で出世し、スプリンターズステークスを制したスノードラゴン。彼もまた、ロイヤルサッシュ一族出身。元々ダートで走っていましたが、『隣を走っている馬に合わせて走ってしまう』という癖の持ち主。そのため出世が遅れましたが、脚質を追い込みに変えてから一気に出世。その後芝に替わって、今ではG1馬。こちらも更なる飛躍が期待されています。


昨年、スプリンターズをスノードラゴンが制し、翌週京都大賞典(月曜に延期)でタマモベストプレイが2着、その翌週の秋華賞をショウナンパンドラが制しましたが、その秋華賞馬ショウナンパンドラはステイゴールドの姪。パンドラはこの一族らしく大きくはないですが、それをハンデとせず馬群を捌いてこれるあたりがロイヤルサッシュ一族の真骨頂。秋華賞はまさにそういう勝ち方でしたね。復帰が待ち遠しいところです。

ショウナンパンドラの半弟で現2歳の牡馬(父ネオユニヴァース)は、一族共通の気の強さに加え、この一族にしては身体が大きく(現在490キロちょっと)、どういう競走馬に成長するか、今からデビューが楽しみで仕方ありません。



ああ、他にも問題児がいました。クラシック候補と呼ばれながら現在伸び悩んでいるディープインパクト産駒・ラウンドワールド。伯父にステイゴ ールドを持つ彼は、4コーナーで外に馬がいると伸びないという難しい馬。
陣営も周りを気にしないよう馬具を工夫していますが、乗り難しい面は変わらず。重症です。
ただステイゴールド自身、軌道に乗ったのは6歳から。まだ可能性を残している馬ではありますね。


今年3歳戦線を賑わせている京成杯勝ち馬ベルーフ。彼はステイゴールドの妹でローズSを勝ったレクレドールの息子。ステイゴールドの甥にあたります。伯父や母をよく知る池江調教師の元、これからの飛躍が期待されている一頭です。
彼もまたデビュー前から色々と気の悪さを見せ、毎度レース前に『まともに回ってくれれば』というコメントが出るやんちゃなところを見せています。彼もまたこの一族らしい馬ですね。



このようにロイヤルサッシュ一族には個性的な気性を持った馬が大勢います。それでいてここまで活躍馬を輩出するのですから、相当なポテンシャルを秘めているのでしょう。



ステイゴールドは帰らぬ存在となりましたが、産駒たち、そして近親が、更にロイヤルサッシュの血を広げていくのは間違いありません。

その血には、日本競馬を軌道に乗せるきっかけを作った吉田善哉社長のこだわり、情熱、そして息子たちに引き継がれた夢が詰まっています。


ステイゴールド産駒は凱旋門賞であと一歩、というところまで来ていますが、それもまたステイゴールドらしいかもしれませんね。いずれ、日本競馬の悲願を叶えるのがステイゴールドの血ではないか、私はそう思います。香港表記が『黄金旅程』だったステイゴールド。旅はまだ、終わっていません。



引退レースである香港ヴァーズを勝った際3着に下した、ジャパンカップ2着馬インディジェナスの妹・ディラローシェとの間に産まれた天皇賞馬フェノーメノ。昨秋は不振でしたが、父ステイゴールドは晩成型。今春、天皇賞・春3連覇という大記録に挑みますが、記録達成の可能性は残されているでしょう。




記録にも、記憶にも残る名馬、ステイゴールド。その由来となったスティーヴィー・ワンダーの『Stay Gold』に次のような歌詞があります。



And yes, you say  
So must the day too,
fade away
And leave a ray of sun
So gold

そしてあなたは言う
太陽は必ず沈むもの
ただ、その時、残した一筋の陽の光は
とても輝いている


産駒、近親が更に輝きを増し、新しい伝説を作ってくれることを祈りながら、今日のお話はここまでとしましょう。





今日も長々と書いてきましたね。JR中央線に乗って新宿駅を出発したあたりから見始めたら、今頃国分寺あたりに着いたころでしょうか?





さて、もうまもなく桜が咲く季節。うまカレは今年も例年通り新歓が行われるはずです。


競馬は好きだけど競馬仲間がいない…
競馬界に興味がある…
馬券は買わないけど馬が好き、競馬が好き…

そんなそこのあなた。

うまカレはそんなあなたを歓迎します!



日々どういう活動をしているのか、ぜひ新歓に来ていただきたいですね。もしくは問い 合わせいただければ、後輩たちが丁寧に答えてくれるはずです。

1年生に限らず、2、3 年生も歓迎です。4年生は…就活終わってからぜひ(笑)



以上、プリンに醤油を掛けてはいけないことを最近学んだ、早大お馬の会佐藤でした!

アディオス!

メジロ、愛しき血筋よ~凱旋門賞総括・菊花賞への道~





皆さんこんにちは。
最近の趣味はプリン製作、うまカレ初代代表、早大お馬の会佐藤です。





プリンのいいところは「割と短時間で作れること」
進化する甘党として、最近は自給自足生活を続けています。





毎度おなじみ余計な話から始まりましたが…皆さん、お久し振りです!
いつの間にか季節は秋になってしまいました。





皆さんにとって、秋といえばなんでしょうか?
食欲?読書?スポーツ?






…このブログを見て下さっているみなさんは、秋といえばもちろん競馬だと思います(笑)
先々週、新潟競馬場で行われたスプリンターズステークスを皮切りに、秋のG1シーズンが開幕。今日は秋華賞が行われて、ショウナンパンドラが優勝。この後も、有馬記念まで目の離せないレースが続きますね。






そういえば皆さん、スプリンターズステークス当日の夜は何をしていましたか…?
大半の皆さんは夜11時半頃テレビの前に正座されていたことでしょう。そうですね、凱旋門賞ですもしかしたら大雨の中、競馬場のパブリックビューイングに行っていた方も読者にいらっしゃるかもしれません。(それを通り越して、現地観戦の方もいらっしゃるかも !?)







今年で「93回目」を迎えた世界最高峰とも言われるこのレースに、今年は日本から3頭の挑戦者たちが、日本競馬界の悲願を達成せんと参戦した…のですが、、、まあ結果は皆さんご存知のことでしょう






さて、今日は凱旋門賞に挑戦した日本馬の一頭について、ちょっとおしゃべりしていこうかなと
ただし、この馬については2年前にお題として書いたこともあり、今回はその時と違う観点から話を進めていこうと思います。






皆さん、お手元におつまみのおやつの用意は整っていますか?毎度恒例ですが、今日も長いですよ…?(笑)











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これまで私が書いてきた血統昔話ですが、書いていて常にこう思います。
血統が起こす奇跡の裏には、必ず背景に関係者の努力、執念があると。




もちろん、その血統の配合が素晴らしかったというのもありますが…
「人の想いは馬を強くする」やはり、そう感じるのです 。






ということで、今日は日本のホースマン史の中でも、ある意味「一番執念深かった」人物が生んだ奇跡のようなお話





凱旋門賞当日フランス・ロンシャン競馬場で開催されるレースはG1ばかり。
日本でも11月のJBCデーにG1が3レース続けて行われますが、3レースでもかなり盛り上がりますからね…その倍以上の数のG1が一日で行われることを考えれば、ロンシャン競馬場の盛り上がりは容易に想像できます。中でも、武豊騎手がアグネスワールドで制したアベイ・ド・ロンシャン賞などは日本でも名前が知られているのではないでしょうか





そういえば、凱旋門賞の一つ前のレースにあたる牝馬限定戦のG1オペラ賞も、1994年、武豊騎手が騎乗したエリンバードが1 位入線するも、5着に降着になったということで、ある意味日本で知られているかもしれませんね。そのエリンバードは後に安田記念にも参戦し、引退後に日本へ輸入。今ではオークス馬エリンコートの母でもあります





そんなオペラ賞は今から40年前、1974年に創設されました。当時のレース設定は3,4歳牝馬のみが出走できるG2で、距離も芝1850m。初代勝ち馬はシェリル






シェリルの父は1969年にフランスリーディングサイアーとなったスノッブ。聞き慣れない名前かとは思いますが、スノッブの母の全兄は名種牡馬シカンブルです。




…それも聞き慣れない?(笑)
シカンブルは現役時代にグランクリテウム、フランスダービー、パリ大賞とフランスの主要G1の3つを制した競走馬で、産駒のファラモンド、ムーティエ、ダイアトムらが種牡馬として日本に輸入。ファラモンドが2冠馬カブラヤオー、ムーティエが同じく2冠馬タニノムーティエや菊花賞馬二ホンピロムーテー、ダイアトムが天皇賞馬クシロキングなどを輩出。これまでの日本競馬史を作ってきた名馬が数多く生産されたこともあり、シカンブルは日本でも馴染みのある名種牡馬です






…どこまで話しましたっけ?ああ、シェリルの父がスノッブだっていう話をしてたんでした。
話が脱線し過ぎて、このままだと書き終わるのに一週間掛かりますね。疲れてきたので、そろそろコンビニにプリンでも買いに…







ごめんなさい真面目に書きます。。







シェリルは1歳時にセールで購入されましたが、落札したのは日本人。
そう、北野豊吉社長です。『メジロ』の冠名で知られた大馬主ですね。





当時は、社台Fの吉田善哉社長、シンボリ牧場の和田共弘社長、メジロ牧場の北野豊吉社長らが海外競馬へ進出し、海外の大レースを自分の所有馬で制覇しようとしていた時代。北野社長も、所有馬メジロムサシを凱旋門賞に挑戦させるなど奮闘していました。メジロムサシは18着と大敗だったものの、これは価値のある挑戦であったと思います





北野社長はシェリルを落札した後も、競走生活はフランスで行わせ、オペラ賞を勝たせることとなります。そして現役引退後、日本へ輸入。当時からメジロ牧場期待の繁殖牝馬だったことは想像に難しくありません





ところが1977年、シェリルが父メジロサンマンの牝馬を産み落とした後、ちょっとした騒動が発生します。
その年シェリルと交配されたのは、天皇賞馬メジロアサマアサマは種牡馬入りして最初の年の受胎率がなんと0%、『種無しスイカ』とも揶揄された存在。そんな種牡馬を牧場期待の繁殖牝馬と交配させるなど、いくら社長の方針でも従業員が反対したのは間違いないでしょうね。周囲にはアサマに固執する北野社長を笑った人もいたはずです





しかし北野社長の執念か、シェリルはアサマの子を受胎。翌年生まれた芦毛の牡馬が、後に天皇賞秋を勝つメジロティターンです。母シェリルの繁殖としてのポテンシャルが高かったのだとは思いますが、まさにティターンは北野社長の執念が誕生させた名馬としか思えません






ティターンが種牡馬入りした年、北野社長は亡くなります。
この時の『ティターンの子から天皇賞馬を』という遺言はあまりにも有名ですね。






それ以降、 メジロ牧場は北野社長の妻であるミヤ夫人が中心となり運営。
ミヤ夫人は競馬ファンの間でも競馬場に和服で来場する『メジロのおばあちゃん』として有名でしたね。





北野社長が亡くなった3年後、菊花賞や有馬記念を勝ったメジロデュレンの母でもあるメジロオーロラが、父メジロティターンの芦毛の牡馬を生みます。
アメリカの名優スティーブ・マックイーンから名前を取られたこの馬が、後にG1を4勝する名ステイヤー、メジロマックイーンです。





マックイーンは1991年天皇賞春で武豊騎手を背に快勝。北野社長の遺言通り、ティターンの子から天皇賞馬が誕生し、メジロアサマから3代続けて天皇賞馬が出るという快挙を成し遂げたのです。まさに北野社長 の夢が叶った瞬間でした。この時はミヤ夫人も、亡き夫の悲願が叶ったことで号泣されたと聞きます




しかし、メジロマックイーンは天皇賞春を勝った後に臨んだ宝塚記念で、メジロ牧場の同期であるメジロライアンに敗北。




メジロライアンはそれまでG1で好走はすれど1着には手が届かず、これが嬉しいG1初勝利。鞍上は関東若手期待の星だった横山典弘騎手『ライアンが一番強い』と度々公言してきた同騎手にとって、これが牡馬に乗ってのG1初勝利。今では日本ダービーを2勝、日本を代表する名手となった横山騎手に最も影響を与えた馬かもしれません




そんなメジロライアンの母は、先ほどちょっと出てきたシェリルとメジロサンマンの子、メジロチェイサー。ライアンにとってもメジロティターンは叔父にあたり、シェリルは祖母にあたります孫2頭がG1でワンツーしたことを考えると、シェリルが相当な繁殖ポテンシャルを持っていたことが改めてよく分かりますね






メジロマックイーンとメジロライアン。どちらも引退後に種牡馬入りしますが、メジロドーベルメジロブライトなどを輩出し、内国産種牡馬の雄と言われたライアンと比べて、マックイーンの種牡馬成績はなかなか振るわず







そんな中、メジロ牧場は次第に衰退。サンデーサイレンス全盛期の中、『長所を伸ばすこと』を意識して常に長距離血統に長距離血統を交配してきたメジロ牧場は、次第に時代から取り残されていっていたのかもしれません。
2000年に近隣の有珠山が噴火したことも衰退の一因となったかもしれませんが、やはり急速にスピード化が進んだ日本競馬に対応できなかったことが直接の衰退の原因だと思われます。メジロ牧場最後のG1勝ちとなったメジロベイリーの父がサンデーサイレンスであったことは何とも皮肉なことです






2004年には北野ミヤ氏も亡くなり…2011年5月。メジロ牧場は解散します。数々の名ステイヤーを輩出し、日本競馬をリードしてきた名門牧場の解散は、競馬ファンに衝撃を与えることとなりました。






それから2ヶ月と経たない2011年7月9日函館競馬場で行われた新馬戦をとある芦毛の牡馬が制します。
父はステイゴールド、母ポイントフラッグの父はメジロマックイーン







そうですね、今日のお題であるゴールドシップです。(2年前ゴールドシップを取り上げた時のお話『星の王子さま~皐月賞馬ゴールドシップ、80年の物語~』http://umacollege.blog.fc2.com/blog-entry-82.htmlも良かったらどうぞ。)




祖父メジロマックイーンと同じ芦毛の馬体で、雄大なフォームから繰り出されるパワフルな末脚には多くの人々が魅了され、北野社長がシェリルを輸入してから38年近く経った2012年の皐月賞でG1初制覇。38年の間にメジロ牧場は無くなってしまいましたが、ロングスパートで他馬のスタミナを削るゴールドシップにはメジロの面影を見ることができます。





シェリルが第一回オペラ賞を制して40年。ロンシャン競馬場にゴールドシップの姿がありました。鞍上はシェリル、メジロ牧場とも縁の深い横山典弘騎手。これまでの2年、同じくステイゴールド×メジロマックイーンの組み合わせだったオルフェーヴルが好走していたこともあり、フランスの競馬ファンの間でも、この『黄金配合』を知っている人がいたかもしれません





何よりフランスのオールド競馬ファンにとって、3年連続で血統表にシェリルの名前がある馬をロンシャン・凱旋門賞の大舞台で見ることができる、それは喜びであり、競馬の醍醐味でもあるのかもしれません。地元の大レースに遠く日本から挑戦してくる馬に地元と縁の深い血が流れているわけですからね。







ちなみに。







凱旋門賞の一つ前に行われるレースはオペラ賞ですが、凱旋門賞の一つ後(現在はアラブG1レースを挟んで次にあたる)にあるレースがG1・フォレ賞。シェリルがオペラ賞を勝った年、フォレ賞を勝ったのは、あのノーザンテーストゴールドシップの体内に流れている「血」です。ゴールドシップの血統は父系も、母系も、フランスに縁があるのです。






ゴールドシップの結果は14着と決して芳しいものではありませんでしたが、レース後、横山騎手は『馬はよく頑張ってくれた』というコメントを出しました。





常々『馬はよく頑張っている』というコメントを残す横山騎手。


凱旋門賞前にも『未勝利もG1も一緒。無事にゴールまでたどりつくのは大変なこと』というコメントも残していましたが、彼のこのようなコメントは、馬へのリスペクト、そして競馬の厳しさを誰より知っているからこそ出てくるものでしょう。17年前、海外遠征を渋る馬主に遠征を直訴し、遠くドバイの地で星となったホクトベガの経験が、彼の中で今も生きていることがよく分かります。






今回、ゴールドシップの結果は決していいものではありませんでした。しかし彼の体内に流れるメジロ牧場の血は、挑戦と、執念の歴史で出来ています。これで彼の挑戦が終わったわけではありません。挑戦の歴史は彼がまた創っていくことになるだろうと思います。






それこそ来年の凱旋門賞は、今年横山騎手と共にダービーを制したワンアンドオンリーが挑戦しているかもしれません。いつの日か、日本馬が凱旋門賞馬の栄誉を手にするその日が楽しみでなりません。








以前、この血統昔話でちょっと取り上げたハープスターも凱旋門賞に挑みましたが、結果は6着
そういえば、鞍上の川田騎手の初重賞制覇となったのはメジロ牧場生産のメジロマイヤーでしたね。川田騎手の故郷・九州で行われた小倉大賞典。この勝利は川田騎手の重賞初制覇でブレークのきっかけとなり、そして長い歴史を持つメジロ牧場にとって、これが生産馬最後の重賞勝利でした。川田騎手もこれからまた海外の大きな舞台に立つ日が来るでしょう。今回の経験がその時に活きることを願うばかりです






メジロ牧場は現在レイクヴィラファームと名前を変え、マーケットブリーダーとして新たな歴史を作り始めています。日本の頂点を争うノーザンファームからノウハウを得て、より現代の潮流に乗ったサラブレッド生産を行っているようです。





そんな中、今年ショウナンラグーンが青葉賞を制覇。レイクヴィラファーム生産馬にとって初重賞制覇でした。ラグーンの母系を辿ると、祖母はメジロドーベル。更に辿るとメジロ牧場を支えた名牝系の祖メジロボサツに行きつきます。名牝シェリルを祖母に持つメジロライアンが母母父に入り、6代母までがメジロの冠名を持っているラグーンにも、メジロの執念の血が流れていると言っていいのではないでしょうか。ショウナンラグーンは来週の菊花賞に出走登録していますが、それも含めて、この先の活躍が楽しみですね






後輩たちの活躍を、レイクヴィラファームに眠るメジロの歴代の名馬たちも空の上から眺めていることでしょう







さて、今日も長々と書いてきました。そろそろお手元におつまみのお菓子がなくなったころかと思います(笑)
今日はメジロ牧場・北野社長の執念と挑戦が生んだ奇跡のようなお話を書かせてもらいました






メジロの長距離血統を掛け合わせるという方針は間違っていないと思います。スピードが重視される現代競馬において、潜在的スタミナが求められてくるようになりましたが、ステイゴールド×メジロマックイーン、いわゆる『黄金配合』から数々の名馬が生まれているように、いずれメジロの血を受け継いだ馬から活躍馬が出てくることになるでしょう





血統派であり、血統好きでもある私にとって、池江泰郎元調教師のサイン入りメジロマックイーンの血統表は所持している競馬グッズの中で一番お気に入りのものでもあります。今、棚に飾ってあるその血統表を眺めながらこの文章を書いていましたが、北野社長の執念の塊であるマックイーンの血統表は、いつ見ても美しく、いつ見ても素晴らしいものですね






秋のG1シーズンが始まりましたが…
そうそう、うまカレの後輩たちがまた色々と企画を考えているようですよ






フリーペーパーに加え、イベントの企画などもしているようです。
様々な大学から会員が集まり、次第に勢力を拡大しているうまカレにも、間もなく5代目の代表が誕生しようとしています。





早いですね…そう考えると何だか自分が年を取ったような気がしてきます(笑)
そういえば最近走るとすぐに息が上がり…ああ、それは単なる運動不足の影響か。






4代目中心のうまカレも、あと少し。5代目はどういったうまカレを作ってくれるのでしょう。





皆様、これからもうまカレの応援、よろしくお願いいたします。






次回の登場はいつでしょうね…またネタができたら登場するかもしれません。




以上、うまカレ初代代表・早大お馬の会佐藤でした!






アディオス!


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佐藤ワタル
血統ブログ

想いの花咲く頃~奇跡の血を持つ馬と、その夢を繋ぐ者たちの挑戦~




皆さんこんにちは、お久しぶりです。
うまカレ初代代表、早大お馬の会佐藤ワタルです。





4ヶ月ちょっと振りですかね…皆様お元気でしたか。
夏も真っ盛りです。暑さで参っているという方も多いかもしれません。




それ以上に突然の大雨が困ったもので。
先日東京競馬場で花火大会が開催されましたが、当日は夕方から酷い大雨に。その代わりと言っては何ですが、花火と雷のコラボレーションという貴重な?シーンを見ることはできました。




何にせよ、皆さま、水分補給は怠らないようにしましょう。







と雑談はこのくらいにして。





今年の3月まで、毎月『血統昔話』ということでお題の馬を決めて色々書いてきましたが、久々の新作になります。
今回取り上げる馬は、毎月連載してた頃に書こうと思っていた一頭ですが、どうにもきっかけがなく、書く機会がないまま連載終了となった名馬です。





ということで皆さん、久々ではありますが、お手元に飲み物とおつまみのお菓子の用意はいいですか?
今日も長くなりそうですよ…















先日、函館競馬場にグラスワンダースペシャルウィークが来場しました。
当日は朝早くから多くのファンが詰めかけたとの事。現役時代は数々の名勝負を演じた2頭ですが、その人気は今も衰えることがありませんね。




1995年産まれの競走馬は多数の活躍馬が出たことから『黄金世代』と呼ばれていたりもします。セイウンスカイファレノプシスアグネスワールド、エアジハード、ウイングアロー…芝ダート問わず各カテゴリーに活躍馬を輩出したことが、この世代の評価をよりいっそう高めたと言えるのではないでしょうか。






1999年12月26日…中山で行われたあの有馬記念
後の「世紀末覇王」ことテイエムオペラオーとツルマルツヨシを抑え切ったグラスワンダーとスペシャルウィークの2頭によるゴール前壮絶な叩き合いは、今でも名勝負として語られていますね。





その2日後の12月28日、とある一頭の偉大な牝馬がこの世を去ります。今日はその牝馬から、物語を起こしていきます。






さかのぼること50年前、アメリカでソングという牝馬が誕生します。自身も5勝した活躍馬ですが、この牝馬の名前が現在でも有名なのは、何と言っても1969年にとある偉大な繁殖牝馬を出産したからでしょう。




父にアルゼンチン4冠馬で名種牡馬としても知られるフォルリを持つ、この牝馬の名前は、スペシャル今日の『お題』のルーツとなる名繁殖牝馬です




現役時代こそ1戦して未勝利だったスペシャルでしたが、繁殖入り後に大種牡馬ヌレイエフを輩出。ヌレイエフは有名どころでは、トゥザグローリー、トゥザワールド兄弟などの血統表でその名前を見ることができますね。今年のオークスを勝ったヌーヴォレコルトも、母父父がヌレイエフ。
父親としても、安田記念を制したブラックホークや凱旋門賞馬パントレセレブルなど、世界的な種牡馬に相応しい産駒成績を残しています。



スペシャルが凄いのは、息子だけでなく娘も名繁殖馬になったことでしょう。ヌレイエフの半姉にあたるフェアリーブリッジが、サドラーズウェルズ・フェアリーキング兄弟を輩出しました。



サドラーズウェルズは、ヨーロッパの血統勢力図に大きな影響を与えている一頭。中でも息子のガリレオは、怪物フランケルを送り出すなど欧州リーディングサイヤーとして現在活躍しています。フェアリーキングもまた種牡馬として成功し、日本ではハープスターの母父父にその名前を見つけることができます。共に偉大な種牡馬と言えます。



ヌレイエフフェアリーブリッジの妹にあたるナンバーも日本に輸入された種牡馬ジェイドロバリーを産むなど、このスペシャルの血は今も日本競馬に大きな影響を与えています。




さて、他にも多数活躍馬を送り出していたスペシャル、ソング、そしてその母ラフショッドの作る牝系ラインに惚れ込んだ一人の日本人がいました。それが渡邊隆オーナー。



父の渡邊喜八郎氏も日本初の芦毛クラシックホース・プレストウコウを所有しているという、馬主家庭に育った隆オーナー。若い頃にイギリスダービーを現地観戦して以来、「いつか世界レベルの血統を自分の手で育てたい」という思いを持つようになり、このスペシャルの牝系に惚れ込んで、その血統を持つ馬を探すようになります。



各国の繁殖牝馬セールのカタログ全てに目を通すほどだったようで、まさに執念の一言。
私も趣味は「海外セリ研究」なので分かりますが、カタログ1冊をチェックするだけでもかなり時間が掛かるものです。当然、ひとつひとつ翻訳していかなければいけませんし、大規模セリのカタログなどは分厚いので、終盤は頭痛が発生します…



そうして迎えた1992年冬。アイルランドで行われたタタソールズ社ディセンバーセール。この繁殖牝馬セールのカタログを眺めていた渡邊オーナーはスペシャルの血を持つ牝馬を発見。父は2代母にスペシャル、3代母にソングを持つ大種牡馬サドラーズウェルズ。母方にも3代前にソングを持つこの牝馬は、まさに渡邊氏が探し求めていた繁殖牝馬でした。



早速、渡邊オーナーはこの牝馬を落札しようとしますが…その牝馬は体調不良で上場が取り止めに。
渡邉オーナーの夢は再び振り出しに戻るかと思いきや、そこで諦めるオーナーではありません。
繋養されていた牧場に直接交渉を始めます。周囲は見栄えがしないその馬体を理由に購入に反対したようですが、渡邊オーナーはその信念に基づき、買い付けに見事成功します




この時購入した繁殖牝馬こそサドラーズギャル。見栄えのしなかったサドラーズギャルですが、その後「日本競馬の歴史を塗り替える」ことになろうとは、まだ渡邊オーナー本人も想像していなかったことでしょう。




アイルランドからアメリカの所有する牧場に移されたサドラーズギャル。初年度は諸般の事情により大種牡馬エーピーインディを交配しましたが、血統好きの渡邊オーナーは翌年の交配相手をこのとき既に決めていました。




その交配相手こそ、種牡馬入りしたばかりであったヨーロッパのトップマイラー・キングマンボ
父はアメリカの歴史的大種牡馬ミスタープロスペクター、母はG1を10勝した名牝ミエスク。妹もG1を3勝したイーストオブザムーンなどがいる超良血馬です。




ただ、キングマンボは今でこそ大種牡馬として知られていますが、当時は実績未知数の立場にあります





渡邊オーナーがキングマンボを気に入っていたのは、その良血ぶりだけではなく母がミエスクだったということ。それも、G1を10勝したという実績ではなく、ミエスクの父がヌレイエフだったことにあります。つまり、スペシャルの子です。



少し専門的な話になりますが、キングマンボとサドラーズギャルを交配すれば、産まれてくる子は「ソングの5×5×4」というクロスが発生します。スペシャルと、その全妹リサデルで作る『トリプルクロス』というのは大変珍しい配合で、血統をある程度知っている人物であればためらってしまうくらいの近親交配にあたります。血統好きの渡邊オーナーにとって、これは『血統への挑戦』だったのでしょう。




サドラーズギャルは、翌年無事に黒鹿毛の牡馬を産み落とします
日本に輸出されたこの牡馬に、渡邊オーナーは以前から期待馬に「ある馬名」を付けようと決めていました。それはとっておきの名前です。




アメリカの名フォークデュオ・サイモン&ガーファンクルがカバーした、アンデスのフォルクローレの代表曲『コンドルは飛んでいく』がその由来です。






コンドルは飛んでいく…スペイン語で『El Cóndor Pasa』






そうですね、今日のお題はエルコンドルパサーです






スペシャルの名前が出たあたりで気づかれていたかもしれませんね(笑)




美浦・二ノ宮敬宇調教師の元でデビューを果たしたエルコンドルパサー。デビュー戦がダート競走だったのは有名なエピソードですね。その後連戦連勝を重ねると、無敗でG1・NHKマイルカップを制覇します。
当時外国馬はクラシック出走不可のため、次走は毎日王冠に。ここでは伝説の「サイレンススズカによる逃走劇」の前に完敗を喫するも、次走ジャパンカップはエアグルーヴスペシャルウィークを制して優勝。これが1998年の3歳(当時の表記は4歳)世代のレベルの高さを証明することとなります。




実はその年の夏。渡邊オーナーは、二ノ宮調教師らエルコンドルパサーの関係者を召集していました。
その理由は、翌年の海外遠征プランについて
日本競馬史に残る『挑戦』は、ここからもう始まっていたのです。



1999年・春。エルコンドルパサーはいよいよフランスに降り立ちます。
じっくりと環境に慣れさせて、エルコンを現地の競走に適応させる…この長期遠征の視線の先にあったのは、秋に行われる世界最大のレース・凱旋門賞




当時は全てが「手探り」でした。滞在する厩務員の生活環境を整え、それに加えてエルコンドルパサーの飼い葉や飲料水に至るまでを日本で用意・フランスに輸送する日々が続きます。フランスで受け入れ先となったトニー・クラウト厩舎も、タイキシャトルで一度日本馬遠征を受け入れているとはいえ、慣れないことも多かったはず。当時の凱旋門賞の賞金額と滞在費用を比較して考えた場合、これは商業的に「まるで利のない」遠征だったと言えます。




しかし、渡邊オーナーや二ノ宮調教師など『チーム・エルコンドルパサー』の挑戦は、お金以上に「名誉を獲りに行った」ものです。二ノ宮調教師らスタッフは入念な下見を重ね、何が起こってもいいように、イギリス、アイルランドなどの近隣国へも視察に赴きます。




初戦となったG1イスパーン賞は、後に日本に輸出され種牡馬として川崎記念を勝ったフィールドルージュを送り出すことになるクロコルージュに敗れた2着。それでも陣営は手応えを掴み、迎えた2戦目はフランス・サンクルー競馬場で行われたG1・サンクルー大賞。




このサンクルー大賞の相手には、前年の凱旋門賞馬サガミックス、前年のフランス、アイルランド両ダービーを制覇したドリームウェルなど、かなりメンバーが揃っていました。このレースでは61キロという重い斤量を背負ったエルコンドルパサーでしたが、並み居る強豪を抑えての優勝。日本競馬史に残る大勝利となり、一気に凱旋門賞の有力候補となります。




このレースの前から、エルコンドルパサーを付きっきりでサポートしていたのが、二ノ宮厩舎の佐々木調教助手です。
サンクルー大賞の後も、異国でエルコンドルパサーと向き合い丁寧に仕上げました。普段の美浦トレセンとは設備も、調教コースも、全てが違う環境で凱旋門賞の有力馬を仕上げるのですから、その緊張は想像もできません。




秋初戦の凱旋門賞前哨戦であるG2・フォワ賞は、フランス初戦で負けたクロコルージュ、そしてドイツダービー馬ボルジアが相手と、わずか3頭立てのレースになりましたが、ここは完勝します。





そして迎えた1999年10月3日。第78回凱旋門賞。





降り続いた雨により馬場コンディションは不良。ペースメーカーの出遅れなどで逃げる展開となったエルコンドルパサーは直線を迎えても先頭を守り、逆にリードを広げます。ついに日本競馬の悲願である凱旋門賞制覇成った…かに思えた残り200m地点。鋭い末脚で鹿毛の牡馬が迫ってきました




モンジューです。フランスダービーなどを制覇し、当日の最有力候補でもあった同馬は、道悪をものともしない末脚でエルコンドルパサーとの差を詰め、最後は半馬身差交わして1着に。日本競馬界の夢、そして渡邊オーナーはじめチーム・エルコンドルパサーの夢はこのモンジューに打ち砕かれることとなるのです






フランスの各メディアはこう伝えました。
第78回凱旋門賞はチャンピオンが2頭いた』と。






競馬は1着になったものが強い、色々な意見はありますが、それが競馬。過去、凱旋門賞で2着した馬がこれだけ称えられたことがあったのでしょうか。




斤量差、展開、馬場…何か違っていれば勝っていたかもしれません。
ただ、この第78回凱旋門賞で先頭でゴールしたのがモンジューなのは事実。競馬にタラレバは禁物です。



そしてチーム・エルコンドルパサーは解散。モンジューが日本遠征しスペシャルウィークに敗れたジャパンカップ当日にエルコンドルパサーは引退式を行い、ターフに別れを告げました






その翌月…冒頭にも書いた1999年12月28日。
偉大な繁殖牝馬スペシャルが亡くなります。30歳は、サラブレッドでは長生きの部類に入りますね。実はモンジューも父母母がスペシャルですから、改めて素晴らしい繁殖牝馬だと思います





その3年後には、エルコンドルパサーが腸ねん転を発症、7歳の若さでこの世を去ります
ちょうど今頃、暑い時期でしたね…。




残された決して多いとは言えない産駒からは、ヴァーミリアンという大物が登場しました。
今年から初年度産駒はデビューを果たしていますが、早速中央でも勝ち馬が誕生。地方競馬には、ホッカイドウ競馬所属のエンターザスフィアが将来の大物候補と噂されているように、種牡馬生活として悪くないスタートを見せています。




もちろんエルコンドルパサー世代のスペシャルウィークとグラスワンダーも種牡馬として活躍中です。
2頭には長生きして欲しいものです。そしてまた、一般ファンの元に来る機会があるといいですよね







そろそろお手元の飲み物、お菓子がなくなってきましたか…?
新宿で中央線に乗った時から読み始めれば、そろそろ三鷹あたりに着いたころかもしれませんね(笑)もう少し、お付き合いいただければと思います。






チーム・エルコンドルパサーが解散した8年後
2007年セレクトセールで、1頭の鹿毛の牡馬が1000万で落札されました。父はステイゴールド。今ではステイゴールド産駒の牡馬が1000万など考えられないくらい安いですが、当時はまだ種牡馬としてのステイゴールドは活躍を見せていませんでしたからね。




落札したのは元日本馬主協会会長の和泉憲一氏。娘の和泉信子氏の所有馬としてナカヤマフェスタと名付けられ、二ノ宮厩舎に入厩。その3年後、ブエナビスタドリームジャーニーを破って宝塚記念を制覇することとなりました。




しかし、馬主であった信子氏は2009年にガンのため既に他界。
悲しい出来事を乗り越えてのG1制覇だっただけに、この時の陣営の喜びもひとしおだったかと思います。




2010年秋。ナカヤマフェスタは信子氏が大好きだった街・パリのロンシャン競馬場にいました。宝塚記念後に同馬の遠征計画が発表され、チーム・エルコンドルパサーが再集結





受け入れ先もエルコンドルパサーと同じトニー・クラウト厩舎。帯同助手も同じく佐々木助手。チーム名は、同じく生前の信子氏が大好きだった宝塚歌劇団から『チーム・すみれの花』と名付けられました。





私の敗戦を超えてゆけ!




エルコンドルパサーが繋いだ「夢」は、再び動き始めます。





2010年10月3日。第89回凱旋門賞。奇しくも、エルコンドルパサーが凱旋門賞に挑戦してからちょうど11年後のこの日、ナカヤマフェスタは同じロンシャンの地で、イギリスダービー馬ワークフォースと死闘を演じます。しかし、惜しくも2着に敗退。




またしても届きませんでしたが、二ノ宮調教師はレース後のインタビューで更なる挑戦を約束。エルコンドルパサーからすみれの花、そして次代に受け継がれた夢は、まだ終わっていません。
いつかまた、夢の続きを見せてくれる馬は現れるはずです。




エルコンドルパサーやナカヤマフェスタを受け入れたトニー・クラウト厩舎には、1頭の牝馬がいます。その名前はKIZUNA。昨年の日本ダービー馬と同じ名前を持つ同馬は、フェスタ同様和泉オーナーが馬主でもあります。将来的にナカヤマフェスタの交配相手として購入された同馬は、日本とフランスの『縁』にちなみ、そう名付けられたそうです。





日本のキズナも昨年凱旋門賞に挑戦しましたが、4着。今は骨折の治療をしながら再起を図っていますね。
キズナにしても、まだ夢が終わったわけではありません。夢の続きを見せてくれるのは、実はこの馬かもしれません。
















さて、今日も長々と話にお付き合いくださりありがとうございました。久々ということもありますが、また長くなってしまいました…




今回は一人の日本人が惚れ込んだ血統、そしてそこから見た夢、その夢の続きのお話でした




渡邊オーナーや二ノ宮調教師の情熱に加え、クラウト調教師らのサポート、佐々木助手らの献身的な調整1頭のサラブレッドに関わる人々の夢、挑戦の歴史を今回少しでも知っていただけたなら幸いです。




普段、何気なく見ている競走馬一頭一頭に関係者の想いが詰まっています。それを意識して競馬を観ると、競馬が更に面白く感じられるかもしれませんね。





そういえば、今年4月、エルコンドルパサーは30頭目の顕彰馬に選出されましたね。ホントようやく…という感じですが。




中央競馬所属の最後のエルコンドルパサー産駒だったトウカイトリックが引退したのも今年。乗馬として新たな活躍が期待されていましたが、4月に急死。ファンが多い馬だったこともあり、大変残念な出来事でしたね…個人的にステイヤーが好きということもあり、私自身大変ショックな出来事でした。




先日松前特別を勝って自身4勝目を挙げた一口馬ジャイアントリープ。彼の母の父がエルコンドルパサー。母父にエルコンドルパサーが入っていたことも、出資段階で彼を気に入った点の一つでした。エルコンドルパサーの血は前述の通り大変複雑で、魅力的。母父としても様々な可能性があると考えています。



いつか、エルコンドルパサーの血を後世に残す存在となってほしいですね。
渡邊オーナーがいなければジャイアントリープもこの世にいないわけで、オーナーには感謝の気持ちと、血統好きの先輩への尊敬の気持ちでいっぱいです。





4代目が中心となるうまカレも夏を迎えました。発足から4年目ということで、うまカレはまた新しい段階を迎えているようです。




初代としては時間の経過の早さに驚くとともに、後輩たちの頑張りを嬉しく思っています。
ホント、嬉しく思っているんですよ(笑)




新しい企画も色々考えているようですね。それこそ、渡邊オーナーは自分の信念に基づき、常識に挑戦し、エルコンドルパサーという名馬を生みだしたことを考えれば、『信念を持って挑戦すること』の重要性を深く感じます。






後輩たちには常に新しい分野に『挑戦』してほしいですね。楽しみにしていますし、これを読んでいただいている皆様、これからもぜひうまカレをよろしくお願いします。








さて、次回の血統昔話はいつになるかは分かりませんが、その時もお楽しみに! 早大お馬の会佐藤ワタルでした!アディオス!








最後に…小岩井牝系フラストレート一族出身のヴェルデグリーンが亡くなりました。
有馬記念で引退レースのオルフェーヴルに真っ向勝負を挑んだ姿は忘れません。ご冥福をお祈りします。

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オリオールは永遠に~女王の血統を持つ最強馬~

皆さんこんにちは!うまカレ初代代表、早大お馬の会佐藤です




だいぶ外も暖かくなってきましたね。続々とG1トライアルレースが終わり、今週末はいよいよ高松宮記念春のG1戦線が始まります。 注目馬はそれぞれみなさんにもいるかと思いますが、果たしてどのようなドラマが生まれるのか…興味は尽きません。





さて、一昨年秋から連載が続いていた血統昔話もついに連載最終回となりました




様々な馬、人を取り上げてきましたが、少しでも皆さんに血統の面白さ、血統の持つドラマの素晴らしさが伝わっていたら嬉しいです





今回は最後ということで、競馬ファンだけではなく一般的知名度も非常に高いあの名馬について昔話をしていきたいと思います









毎回恒例ですが、今日も長くなりそうです。お手元に飲み物とおつまみのお菓子の用意はよろしいでしょうか…?










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突然ですが、皆さん、イギリスへ行ったことがありますか…?




私は行ったことがありません。いつかはこの国に行きたいと思っています。




イギリスは「近代競馬発祥の国」とも言われ、現在も数々のビッグレースが行われてます。中でも伝統の『ダービー』今年235回目を迎えます。一度は本家ダービーを生で観戦したいものです





そんなイギリスの国家元首は、ご存じエリザベス2世女王陛下。今日まで在位62年、女王陛下はイギリスの象徴とも言える存在です






そんなエリザベス女王の日課を皆さんはご存知でしょうか?






女王陛下は毎朝、紅茶を飲みながらイギリスの競馬専門紙『レーシング・ポスト』に目を通すことが日課なんだそうです。



無類の競馬好きで知られる陛下は、毎年6月にアスコット競馬場で行われるロイヤルアスコットレースミーティング、いわゆる『ロイヤルアスコット』を主催。自らも女王の別邸として有名なウインザー城から馬車に乗って競馬場に出向き、これをご観戦されます。




もちろんエリザベス女王は馬主としても知られており、その勝負服は金細工が施された特注品過去2度イギリスリーディング(賞金王)馬主となったほか、昨年のロイヤルアスコットでは、日本の帝室御賞典(天皇賞)のモデルでもある伝統のG1・ゴールドカップを、所有するエスティメイトが優勝しています。



そんな女王の所有馬は、主要レースを数多く制覇しているにもかかわらず、なぜか『ダービー』だけは勝てないとされています。3年前には、所有馬カールトンハウス1番人気となるも、落鉄の影響もあって3着惜敗女王の所有馬がイギリスダービーを勝つことは、イギリス国民の悲願と言えるかもしれません



大井の帝王・的場文男騎手も東京ダービーをなかなか勝てませんが、ある意味「王様がダービーを勝つ」のはなかなか難しいことなのかもしれませんね(苦笑)






それは置いておいて。





女王陛下の所有馬として最も有名なのは、女王の両親の名前を冠したG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、いわゆる『キングジョージ』を勝ったオリオールでしょう



ギリシャ神話の神『太陽の支配者』の名である偉大な種牡馬ハイペリオンを父に持ち、「天使」アンジェロラが母親というオリオールは、まさに『後光』という馬名通りの活躍を見せました。同馬は種牡馬としても優秀な成績を残し、産駒からは凱旋門賞馬セントクレスピンが誕生。セントクレスピンは後に日本に輸入され、現在スペシャルウィークの母母父などに名前を残しています。





1974年のフランスオークスを勝ったハイクレアも、エリザベス女王が所有した一頭。ハイクレアの母系は世界的名門で、現在は種牡馬として活躍中のテイルオブザキャットや、日本ではホウライアキコなどを輩出しているヨハネスブルグといった馬も、この一族出身です。





そのハイクレアの娘ハイトオブファッションも、エリザベス女王所有馬として現役生活を送り7戦5勝の成績。当時は2歳女王決定戦フィリーズマイルがG2だったためG1タイトルこそありませんでしたが、引退後はシェイク・ハムダン殿下に購入され、繁殖に。そこから産まれた第3子が、あのニジンスキー以来のイギリス2冠馬を達成したナシュワン。凱旋門賞馬バゴや、キングジョージ連覇を果たしたスウェインの父でもある名馬を誕生させたハイトオブファッションは晩年にも、英国の誇るG1プリンスオブウェールズステークス、チャンピオンステークス・インターナショナルステークス3つを制したネイエフを出産。2002年にハイトオブファッションは死亡しますが、この一族の勢いは現在もとどまることを知りません






そんなハイトオブファッションの2歳上の半姉バークレアーが、1991年に産んだ牝馬の名がウインドインハーヘア。後にドイツG1アラルポカル(現在のラインラントポカル)を制することとなります




ウインドインハーヘアがアラルポカルを制した際に実はお腹の中に子どもがいた」という話は有名ですね。海外ではたまに種付けして受胎が確認された後に、現役復帰させて走らせるという手段が見られますが、それでG1を勝ったという例は珍しく、彼女の高い能力が伺えます。




しかもこのアラルポカルで倒したメンバーの中には、G1を3勝し後にドイツを代表する種牡馬となるモンズンがいたことを考えると、驚異的です。




アラルポカルを勝った際に受胎していたアラジとの仔は翌年無事に生まれ、グリントインハーアイと名付けられて競走馬デビューを果たします。



ところがこのグリントインハーアイがまるで走らずウインドインハーヘアの繁殖牝馬としての能力に疑問符が付き始めたころ優秀な母系に目をつけたノーザンファームが購入、日本に輸入されることとなります


輸入後、2番仔のヴェイルオブアヴァロンが米G3を勝つなど活躍したことを考えると、ウインドインハーヘアを輸入するタイミングはこの時だけ。まさに、ウインドインハーヘアの日本輸入は運命だったのです






日本でウインドインハーヘアという繁殖牝馬が注目され始めたのは2003年の夏





3番仔シーキングザゴールド産駒の牝馬レディブロンド5歳にして、函館競馬場で行われた1000万条件TVh賞でデビューを果たします。5番人気と低評価ながら、これを目の覚めるような末脚で優勝。その後3ヶ月間で土付かずの4連勝を果たすと、連闘でG1スプリンターズステークスに挑戦
鞍上は柴田善臣
結果はデュランダルから0.2差の4着
健闘したと言えますが、その後歩様に異常が見られたため引退。レディブロンドにとってわずか3か月半の現役生活が終わりました




なかなか珍しい戦績を残したレディブロンドはその後、2009年に急死するまで繁殖牝馬として5頭の仔を生みます。ところが帝王賞を制したゴルトブリッツ含め、2頭がすでに他界。残された牝馬のラドラーダガールオンファイアには、将来に血を残す期待がかけられています








そんなレディブロンドの激動の夏からさかのぼること約1年前








北海道で行われたセレクトセール当歳市場に、1頭の鹿毛の牡馬が上場されました






父は大種牡馬サンデーサイレンス。母はウインドインハーヘア。その7番仔にあたります





6番仔で全兄のブラックタイドは、好馬体を評価されて1億ほどで落札。しかし同馬は小柄のためそこまで評価が上がらず、7000万円ほどで落札



7000万といえば高いように感じますが、この頃は同年他界することとなる、サンデーサイレンスの産駒が「いちおく!」の掛け声に代表されるように、どんどん高値で落札されていた時代。1億円の評価になっても特に不思議ではないサンデー産駒で母が海外G1馬ということを考えれば、安い評価額と言えます実際、この年のセレクトセールに上場されたサンデーサイレンスの産駒の中でも落札額は低い部類でした





落札したのは全兄ブラックタイドと同様、株式会社図研の社長である金子真人氏。過去にクロフネ、キングカメハメハなどの名馬を所有した大オーナーは、『瞳に不思議な力を感じた』と、この小柄な鹿毛の牡馬を落札します





今考えても凄い理由です。私もいずれ『瞳に不思議な力を感じた』という理由で競走馬を落札するくらいに出世したいものです(笑)ちなみに金子オーナーは、私の大学の先輩でもあります。学部も同じ。偉大な先輩に追いつけるよう私も頑張ろうと思う次第です。






さて、この落札された鹿毛の牡馬は変わらず小柄ですが、順調に成長します。その後2歳となった秋、全兄ブラックタイド同様に栗東の池江泰郎厩舎に入ります






ブラックタイドはスプリングSを優勝するなど活躍。同馬も周りからは期待されていたようですが、変わらない小柄な体系に、陣営の方は活躍できるか半信半疑だったそうです。







そうですね。言わずもがな、



今日のお題はディープインパクトです









その後の活躍に関して改めてここで書く必要はないでしょう。







あの新馬戦は当時自宅で眺めていましたが、あまりの強さに食べてたカップラーメンが鼻から出そうになったくらいで。







個人的にディープが一番強かったのは天皇賞春だと思っています掟破りの3コーナー前からのロングスパート、そしてレコード勝ち。2着リンカーンに騎乗していた横山典弘騎手が残した『生まれた時代が悪かった』という言葉が、その全てを表しています。本当に、圧倒的な強さでした。







引退レースの有馬記念は、実際に中山競馬場に観に行きました。生で見るディープの走りはまるで猫のようなフォーム。あの走りは今も目に焼きついています





すでに種牡馬としても多数の活躍馬を輩出。今年はハープスターなどの注目馬が春のG1戦線を賑わせることでしょう










一方、女王陛下の最高傑作オリオールはというと、産駒は活躍したものの次第に勢いを失い、直系で残っている系統はほとんどないという状況になっています






しかし、ディープインパクトの主戦だった武豊騎手に100勝目のG1をプレゼントしたトーセンラーは、3代母父が凱旋門賞馬ヴェイグリーノーブル同馬の父は、オリオール産駒のヴィエナなので、トーセンラーは父方にも母方にも、エリザベス女王の所有馬の血が入っていることになります。




実はこのヴィエナを生産、所有したのは『一国の宰相になるより、ダービー馬のオーナーになる方が難しい』という言葉を残したとされる、元イギリス首相のウィンストン・チャーチル。国王の所有馬の息子を首相が所有というところ辺りがイギリスです(笑)





トーセンラーは『女王の血統』と言うと大げさかもしれませんが、エリザベス女王に大変縁があることは確かです。牡馬なのでエリザベス女王杯には出走できませんが(笑)日英を繋ぐ存在ともいえる同馬には、さらなる活躍を期待したいです






ヴェイグリーノーブルといえば、チチカステナンゴ産駒のキングズオブザサンと母クロウキャニオンベルキャニオンが、今年の3歳クラシック戦線に挑んでいます3頭ともオリオール持ちで、特にベルキャニオンは『女王の血統』にあたります。ちなみに『女王の血統』といえば、高松宮記念に出走するレッドオーヴァルも該当しております






クラシックには、ウインドインハーヘアの仔モンドシャルナがダービーを目指して奮闘中。既にリルダヴァルなどを輩出しているヴェイルオブアヴァロンの仔ヴォルシェーブは残念ながら脚を痛めて春は全休となりましたが、その目線は菊花賞に向けられているようです







世界を通じて今後も女王陛下に縁の深い血を持つ活躍馬は出てくるでしょうし、何よりエリザベス女王陛下の所有馬がダービーを制覇をする瞬間がやってくることを願うばかりです。その瞬間はぜひともエプソム競馬場で生で観たいものです













さて、長々と続いてきた今日のお話もここまで










この連載ではここまで数々の名馬、人を取り上げてきました






エアソミュールが武豊騎手で出走ということでちょっとした昔話を書いて以降



オルフェーヴル、ゴールドシップ、ニホンピロアワーズ、テスタマッタ、ロゴタイプカレンチャン、ホエールキャプチャブライアンズタイム、トウカイテイオー的場文男騎手メイショウマンボデュランダル、スズカフェニックス、キズナウオッカ、スターロッチ、キストゥヘヴン、そしてディープインパクト






名馬に歴史あり、ドラマあり。まさに名馬は一日にして成らずと言えますね





ん?名馬の中に人が一人混じってる?




的場文男騎手悲願の東京ダービー制覇に向けて、今日も元気に(元気すぎるくらい?)馬を追っています。昨日名古屋競馬場で行われた東西対抗ジョッキー名人戦では2戦とも勝利し、文句なしの戦功第一(褒美として高級ハムが送られていましたね笑)。
先日も大井競馬場で常識外れの追い込みを決めて、その魅力でファンをKOしていました。とても57歳の動きではありませんね。常識というものさしで測ることができないです










今日も、日本のどこかで、世界のどこかで馬は走り続けています





普段、私たちの目の前を走っている馬から、何十年後にとんでもない名馬が出現するかもしれません。それがまた競馬の魅力でもあり、血統の面白さだと思います





競馬には色々な楽しみ方がありますし、数え切れないほどの魅力が存在します





それを同世代の仲間と語り合え、競馬を知らない同世代にその魅力を伝えていく…





これがうまカレを創設した際の思いであり、後輩たちが今でもしっかり受け継いでくれているであろう思いでもあるでしょう






そんなうまカレに入って競馬をやりませんか?




もちろん考え方によるでしょうが、競馬って複数人で観たほうが不思議とより面白さが増すんですよね。



大学に競馬サークルがない方も、競馬サークルがあるもののうまカレに入りたいという方も、すでに大学に通っている方も




皆さん大歓迎です!



と引退した私が言うのもなんですが(笑)、後輩たちは歓迎しますよ。





私はうまカレを通じて様々な馬、人との出会いを経験させてもらいました。自身の競馬観に大きな影響を与えられる出会いも数多くありました





震災直後、ビッグゴールドに会いに行った際のアドマイヤフジとの出会いなどは、うまカレがあったからこその出会いと言っていいと思います




皆さんにも、うまカレに入れば、うまカレでしか出来ない経験、出会いが待っているかもしれません






私はうまカレがそのような場であり続けることを願っていますし、皆さんがうまカレに加入されることを願っています









この連載でメイショウマンボを取り上げた時に紹介した『メイショウ』の冠名でお馴染みの松本好雄オーナーの座右の銘を皆さん覚えていらっしゃるでしょうか






『人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる』




私、この松本オーナーの座右の銘、好きなんですよね。常日頃から競馬全体を考えていらっしゃる松本オーナーらしい座右の銘でしょう









うまカレの後輩たちには常にこの言葉を忘れずに、より一層競馬の魅力を広めていってほしいと思っています









以上、ここまで長々と連載を見ていただきありがとうございました!
また突然現れるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします(笑)






というわけで、早大お馬の会佐藤ワタルでした!



アディオス!


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佐藤ワタル

天まで届け、仔の想い~社台が誇る牝系の物語~


皆さんこんにちは!
一ヶ月に一度の血統昔話の時間が今月もやってまいりました。






どもども、うまカレ初代代表佐藤ワタルでございます。







いやぁ…アツいですねぇ




…何がって?




ソチですよ、ソチ一説には松岡修造氏がキャスターとしてロシアに行った途端気温が上がり、雪不足となっているという話もありますが(笑)、連日アツい勝負が繰り広げられていることで、すっかりこちらも寝不足です。




中でもノルディック複合ノーマルヒルは手に汗握るマッチレースということもあり目が離せませんでした。
見事銀メダルに輝いた渡部暁斗選手大学の先輩でもあり、何より『甘党』!




先ほど行われたノルディック複合個人は転倒というアクシデントもあり6位入賞に終わってしまいましたが、団体戦ではこの雪辱を晴らしてくれることを祈って応援しています!






さて日本は…というと、
関東甲信越を中心に連日の大雪で大パニックに。
競馬界もアクシデントの連続。なんと11日間で8日間競馬が行われる事態となり、番組の混乱による輸送トラブルや調教不十分、除外抽選の無効などに見舞われた数週間でした。



そんな中フェブラリーステークスの週を迎えることになります。これが終われば春のクラシックのトライアルが始まります。






今日は、そんなクラシックに少々関連したお話をしようかなと。偶然が重なりあって創られた、まるで『物語』のような馬について取り上げようと思います。




皆さん、今日もお手元に飲み物とお菓子のご用意は完了していますか?


今日の話も毎回恒例ですが、長いですよ…(笑)





________________________________________






そもそも、競馬とは偶然の積み重ねなのかもしれません。




以前にも書きましたが、競走馬にとって大事な、速さでありスタミナ、底力という要素。それから脚元の強さ。いずれかを欠いた場合、その馬がG1という大きな舞台で輝くことは難しいと言わざるを得ないでしょう。



そしてもう一つ。やはり競走馬にとって『運』という要素は、かなり大きな割合を占めていると思います。巡り合わせが良かったからこそG1を勝てたという馬も少なからずいるでしょうし、今日ここで紹介するストーリーも、不思議な巡り合わせ、偶然が重なって紡がれてきたものでもあります。



さて、そんな偶然のような奇跡を、ゆっくり綴っていこうかと。








話は20年ちょっと前に遡ります。





今や日本競馬最大の生産組織に成長した社台グループも、当時は主に社台ファーム千歳(現社台ファーム)社台ファーム早来(現ノーザンファーム)社台ファーム白老(現社台コーポレーション白老ファーム)に分かれており、先代の吉田善哉氏の下着実に成長を遂げていた時期といえます。




1990年3月8日。その中の社台ファーム早来で、一頭の鹿毛の牝馬が誕生したところから今日のお話は始まります。





その牝馬の父は、前年に輸入された新種牡馬トニービンアイルランドで生まれると、イタリアでデビュー。しかし3歳クラシックでは惜敗が続きます。古馬になってミラノ大賞典ジョッキークラブ大賞を連勝すると、凱旋門賞では名伯楽A・ファーブルが管理する最初の凱旋門賞馬となったトランポリーノの2着と好走。そして5歳時にジョッキークラブ大賞を連覇して挑んだ2度目の凱旋門賞では見事に優勝オルフェーヴルも果たせなかった「リベンジ」を果たすと、ジャパンカップの招待を受諾し来日。残念ながらレース中に骨折し5着となりますが、引退すると社台グループが購入し、日本での種付け生活が始まったに至ります




母は繁殖セールで、当時の価格として日本円約2000万ほどで購入されたアンティックヴァリュー。彼女は当時世界中を席巻したノーザンダンサー産駒でしたが、2000万というのはかなり安値で購入されたと言えます。かつて吉田善哉氏が目をかけていた才女シャダイソフィアの近親でもあり、レース中に故障し予後不良となった彼女の後を継ぐかように、吉田照哉氏が落札してきた未出走の良血馬です。



これだけ見ると血統的にも価値があり、いかにも値段が高くなるように思えるのですが、この鹿毛の牝馬は生まれつき左前脚が曲がっており、セリでは『お代はいくらからでもいい」という声にも誰も反応せず…売れ残りました



結局、当時社台ファーム早来の場長をしていた吉田勝己氏(現ノーザンファーム代表)の母である吉田和子氏の所有馬として競走馬になったわけですが、早速脚が曲がっているためその将来が心配され、実際入厩先だった松田博資厩舎に入る際にも『調教してダメだったら引退させる』と言われるような存在でした。



このように見た目の悪かった彼女ですが、脚が曲がっていたほかにもう一つ、顔の『流星』部分に黒い斑点が数個あるという特徴を持っていました。


それが星に見えるということで、常の一等星よりも2倍以上明るい白色恒星として有名な
星の名前が付けられることとなります。





そうですね、後にG1を2勝するベガです





今でこそ名牝と呼ばれていますが、この頃は売れ残った経緯もあって、あまり期待されていない存在だったのです。



ところがベガはその後の調教で評価が一変。新馬でいきなり2着に粘りこみます。



ここで更なる「偶然」が起こります。


2戦目の追い切りの際、初戦に騎乗していた橋本美純元騎手が寝坊で遅刻。
困った関係者は近くにいた騎手に声を掛け、調教を依頼。この騎手が当時デビュー7年目、すでにトップクラスのジョッキーとなっていた名手・武豊


これを機に武騎手に乗り替わった以降、ベガは連戦街道に乗ります。桜花賞、オークスを制覇。
もちろんこれだけの馬ですし、乗り替わらなくても結果は出ていたとは思います。しかし武騎手に乗り替わったことは、ベガの今後の運命を大きく変えるものとなっていきます。



ベガは翌年引退。初めての交配相手に選ばれたのは、当時既に旋風を巻き起こしていたサンデーサイレンス




ところがここで、初子として受胎したのは、なんと双子。



通常サラブレッドが双子を妊娠した場合、母体への影響や仔が正常に生育しないことを考え、どちらかの仔を堕胎させる場合がほとんど。ベガの場合も同様で、片方が堕胎され、もう片方だった鹿毛の牡馬が生まれることとなります。




この鹿毛の牡馬がダービー馬アドマイヤベガ



競馬にタラレバは禁物ですが、もしもう片方の仔が産まれていたらどうなっていたか。もしかしたらナリタトップロードがダービー馬になっていたかもしれませんし、その仔はアドマイヤベガ以上の活躍を見せたかもしれません。




アドマイヤベガは母同様主戦に武豊騎手を迎え、日本ダービーで鮮やかな末脚を繰り出して優勝。あの騎乗は天才と呼ばれる武豊騎手だからこその優勝だったようにも思えますし、母の主戦が武豊騎手だったことは本当に大きかったと思います。この騎手と出会っていなかったら、アドマイヤベガはまったく違う戦績となっていたことでしょう。







さて、ここまでベガのお話を書いてきましたが、今日の『お題』はベガではありません今までこんな序盤から『お題』の馬が出てきたことはないですからね(笑)






少し話を変えましょう。








1968年、日高の静内で一頭の牝馬が産まれます。名前はスイーブ


スイーブ自身は未勝利に終わったものの、繁殖牝馬としては大変優秀で、5番仔ロングイーグルが菊花賞で3着、6番仔ロンググレイスエリザベス女王杯を勝ち、12番仔ロングシンホニーは日本ダービーで1番人気に押されるなど、次々と活躍馬を送り出します。



しかし、ロングイーグルが菊花賞3着、ロングシンホニーもダービー5着、菊花賞6着と惜敗。ロンググレイスはエリザベス女王杯を勝ったとはいえ、グレード制が導入されてG1となったのは翌年エリザベス女王杯の価値はG1だったとはいえ、スイーブの一族は『クラシック』になかなか手が届かなかったのです。


そんなスイーブが13番仔として産んだのが、父にノーザンテーストを持つ牝馬。ノーザンテーストと母のスイーブ同様に栗毛だったこの牝馬ロングバージンと名付けられました。


ロングバージンは3戦して1勝という競走成績に終わりますが、スイーブも競走成績は凡庸だっただけに、当時から繁殖として期待されていたはずです。


ところがロングバージンは繁殖としてなかなか活躍馬を出せない日々が続きます。仔だけではなく、孫からも走る馬が出ない状況が続き、この状況には関係者も試行錯誤したことが想像できます。



2002年春これまで10頭を産んだロングバージンに、初めてサンデーサイレンスの血を持った種牡馬が交配されることとなります。



その交配相手は、偶然にも種牡馬3年目にしてこの年初年度産駒が産まれたばかりのアドマイヤベガ


そして2003年春、ロングバージンは父にアドマイヤベガを持つ鹿毛の牝馬を産み落としました。




この牝馬はデキが良かったようで、翌年オータムセールに出されると970万で落札されます。確かに安く見えますが、これまで母ロングバージンが全く繁殖として大きな実績がなく、値段が安くなる傾向にある牝馬がただでさえ値が上がらないオータムセールに出されての値段だと考えれば、なかなかの高評価と言えるでしょう。



落札したのはなんと吉田勝己氏。そう、ベガやアドマイヤベガの生産に携わった人物です







その一週間後






この牝馬の父であるアドマイヤベガが8歳という若さで急死してしまいます。



さらにその約一ヶ月後、この牝馬の母父にあたるノーザンテーストがこの世を去ります。33歳の大往生でした。




立て続けに牧場の功労馬を失った社台グループ。こればかりは仕方のないこととはいえ、その喪失感は計り知れないものだったことでしょう。



やがて成長したこの牝馬は、祖母にあたるベガと同様、吉田勝己氏の母である和子氏の名義で競走馬デビューすることとなります。


この世を去った父アドマイヤベガ、母父ノーザンテーストのいる天国へ、キスが届くように…このような意味が込められた名前が付けられて。





この牝馬が今日のお題であるキストゥヘヴン



デビューからパーフェクト連対を続け、6戦目となった2006年桜花賞を鮮やかな末脚で大外から差し切り、父アドマイヤベガに平地初G1のタイトルを、祖母スイーブに一族初のクラシックの栄冠をプレゼントすることとなります。


この時、祖母であるベガが誕生してから16年、スイーブが誕生してから38年の歳月が経過していました。



孫が自身と同じく桜花賞を制覇したのを見届けるかのように、この年の夏、ベガはこの世を去ります。16歳。流産や不受胎が続いたことで、遺した産駒はわずかに5頭。夢は次世代に引き継がれることとなります。



キストゥヘヴンは桜花賞を勝ったことでその将来を期待されましたが、桜花賞以降なかなか勝てなくなり、好走はあっても同期のアドマイヤキッス、コイウタに先着されるなど、苦しい日々が続きます。


そんな2008年春、キストゥヘヴンのライバル的存在であったアドマイヤキッスが急逝。その早すぎる死を誰もが惜しむ中、キストゥヘヴンは亡き戦友の分も走っているかのように復調。この年の秋の京成杯オータムハンデで、2年5ヶ月ぶりの勝利を手にします。





それから半年。2009年3月の中山牝馬ステークス。このレースのパドックに、このレースが引退レースとなるキストゥヘヴンの姿がありました。
ここまで26戦。2歳から6歳まで走り続け、アメリカ遠征も敢行したキストゥヘヴン。



そのラストランは名手・横山典弘にエスコートされ、最後の直線を向くと、こちらも復活をかけて逃げ込みを図るG1馬ピンクカメオを競り落として先頭でゴールイン。




キストゥヘヴンの物語のような馬生に、引退レースで1着というページが加わることとなりました。そして産駒に夢を託し、ターフに別れを告げたのです





その後4頭の産駒を出産したキストゥヘヴン。まだ活躍馬は出ていません。しかし、キストゥヘヴン自身が11番仔。それを考えれば長い目で見てあげたくなりますよね。
この後、ヘヴンの仔からだけではなく、孫世代から活躍馬が出る可能性も十分にあるわけです


数々の偶然が産み出し、物語のような競走馬生活を送っているヘヴンには、更なる偶然という名の奇跡を起こしてくれるような、そんな期待を私たちに抱かせてくれます。





私も競馬を見始めて10年以上の月日が経過しましたが、多くの偶然からなる奇跡を見てきた気がします。





それが競馬の一つの魅力であり、奥深さではないでしょうか。





そんな魅力たっぷりの競馬を色々な人々に知ってもらいたい、そして実際見てもらいたい





その思いがうまカレを結成する原動力になりました











さあ、まもなく競馬場にも春がやってきます!



ベガやキストゥヘヴンが辿ってきた桜花賞への道が開けてくる季節。



今年その桜花賞馬候補に挙げられているのがハープスター


父に近年屈指のスーパーホースであるディープインパクトを持ち、母はベガがこの世に送り出した唯一の牝馬であるヒストリックスター



ベガの遺伝子を受け継いだハープスターが、桜が満開の阪神競馬場で直線、大外から飛んでくるという、そんなシーンを見ることができるかもしれませんね












さて、今日も長々と書いてきましたが、いかがだったでしょう。




お手元のお菓子が無くなってしまったでしょうか?(笑)






この連載も残り1回です。



最終回を書くころには新大学一年生を迎える方々も新しい地での生活の準備をしているころでしょうね。





大学生になる競馬ファンの皆さんにはぜひ、うまカレに入ってほしいと思います。




そして自分なりに考え、行動し、競馬の面白さや奥深さを広めていってくれることを心から願っています。





入った大学に競馬サークルがなかった…そんな皆さんをうまカレの後輩たちは歓迎するでしょうし、入った大学に競馬サークルがあるという人ももちろん歓迎するでしょう。




大学一年生だけではありません



二年生以上でも遅くはありません


是非うまカレで、競馬の魅力を追求してほしいと思います。





うまカレに所属している後輩たちは、春のフリーペーパー作成に向けてすでに動いているようです。今年もうまカレは更に勢力を強め、活動の幅を広げていってくれることでしょう。(広げてくれるよね?笑)






ということで、また来月この場でお会いできたらと思います!





以上、うまカレ初代代表、早大お馬の会佐藤ワタルでした。




アディオス!

プロフィール

うまカレ


全国の大学に在る競馬サークルのメンバーを中心とした競馬を愛する学生たちが既存の競馬ファンだけでなく、競馬をやったことのない人たちにも『競馬の楽しさや素晴らしさを伝えよう!』と立ち上げた学生団体です。

学生競馬ファンのリーディングとして、主に学生を中心とした同年代へ向けて、競馬の素晴らしさ、面白さを様々な視点やコンテンツを通じて紹介し、競馬文化の普及、競馬事業への文化的支援を行うことを目的としています。

オグリの時代に生まれた僕らで
オグリの時代の熱狂を、もう一度。

※2005年より20歳以上であれば学生でも勝馬投票券を購入できるようになりました※

お問い合わせ
umacolle@hotmail.co.jp

HP
http://umacolle.web.fc2.com/

うまカレ紹介ムービー
http://www.youtube.com/watch?v=RfyrC-KbZQ4


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