メジロ、愛しき血筋よ~凱旋門賞総括・菊花賞への道~





皆さんこんにちは。
最近の趣味はプリン製作、うまカレ初代代表、早大お馬の会佐藤です。





プリンのいいところは「割と短時間で作れること」
進化する甘党として、最近は自給自足生活を続けています。





毎度おなじみ余計な話から始まりましたが…皆さん、お久し振りです!
いつの間にか季節は秋になってしまいました。





皆さんにとって、秋といえばなんでしょうか?
食欲?読書?スポーツ?






…このブログを見て下さっているみなさんは、秋といえばもちろん競馬だと思います(笑)
先々週、新潟競馬場で行われたスプリンターズステークスを皮切りに、秋のG1シーズンが開幕。今日は秋華賞が行われて、ショウナンパンドラが優勝。この後も、有馬記念まで目の離せないレースが続きますね。






そういえば皆さん、スプリンターズステークス当日の夜は何をしていましたか…?
大半の皆さんは夜11時半頃テレビの前に正座されていたことでしょう。そうですね、凱旋門賞ですもしかしたら大雨の中、競馬場のパブリックビューイングに行っていた方も読者にいらっしゃるかもしれません。(それを通り越して、現地観戦の方もいらっしゃるかも !?)







今年で「93回目」を迎えた世界最高峰とも言われるこのレースに、今年は日本から3頭の挑戦者たちが、日本競馬界の悲願を達成せんと参戦した…のですが、、、まあ結果は皆さんご存知のことでしょう






さて、今日は凱旋門賞に挑戦した日本馬の一頭について、ちょっとおしゃべりしていこうかなと
ただし、この馬については2年前にお題として書いたこともあり、今回はその時と違う観点から話を進めていこうと思います。






皆さん、お手元におつまみのおやつの用意は整っていますか?毎度恒例ですが、今日も長いですよ…?(笑)











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これまで私が書いてきた血統昔話ですが、書いていて常にこう思います。
血統が起こす奇跡の裏には、必ず背景に関係者の努力、執念があると。




もちろん、その血統の配合が素晴らしかったというのもありますが…
「人の想いは馬を強くする」やはり、そう感じるのです 。






ということで、今日は日本のホースマン史の中でも、ある意味「一番執念深かった」人物が生んだ奇跡のようなお話





凱旋門賞当日フランス・ロンシャン競馬場で開催されるレースはG1ばかり。
日本でも11月のJBCデーにG1が3レース続けて行われますが、3レースでもかなり盛り上がりますからね…その倍以上の数のG1が一日で行われることを考えれば、ロンシャン競馬場の盛り上がりは容易に想像できます。中でも、武豊騎手がアグネスワールドで制したアベイ・ド・ロンシャン賞などは日本でも名前が知られているのではないでしょうか





そういえば、凱旋門賞の一つ前のレースにあたる牝馬限定戦のG1オペラ賞も、1994年、武豊騎手が騎乗したエリンバードが1 位入線するも、5着に降着になったということで、ある意味日本で知られているかもしれませんね。そのエリンバードは後に安田記念にも参戦し、引退後に日本へ輸入。今ではオークス馬エリンコートの母でもあります





そんなオペラ賞は今から40年前、1974年に創設されました。当時のレース設定は3,4歳牝馬のみが出走できるG2で、距離も芝1850m。初代勝ち馬はシェリル






シェリルの父は1969年にフランスリーディングサイアーとなったスノッブ。聞き慣れない名前かとは思いますが、スノッブの母の全兄は名種牡馬シカンブルです。




…それも聞き慣れない?(笑)
シカンブルは現役時代にグランクリテウム、フランスダービー、パリ大賞とフランスの主要G1の3つを制した競走馬で、産駒のファラモンド、ムーティエ、ダイアトムらが種牡馬として日本に輸入。ファラモンドが2冠馬カブラヤオー、ムーティエが同じく2冠馬タニノムーティエや菊花賞馬二ホンピロムーテー、ダイアトムが天皇賞馬クシロキングなどを輩出。これまでの日本競馬史を作ってきた名馬が数多く生産されたこともあり、シカンブルは日本でも馴染みのある名種牡馬です






…どこまで話しましたっけ?ああ、シェリルの父がスノッブだっていう話をしてたんでした。
話が脱線し過ぎて、このままだと書き終わるのに一週間掛かりますね。疲れてきたので、そろそろコンビニにプリンでも買いに…







ごめんなさい真面目に書きます。。







シェリルは1歳時にセールで購入されましたが、落札したのは日本人。
そう、北野豊吉社長です。『メジロ』の冠名で知られた大馬主ですね。





当時は、社台Fの吉田善哉社長、シンボリ牧場の和田共弘社長、メジロ牧場の北野豊吉社長らが海外競馬へ進出し、海外の大レースを自分の所有馬で制覇しようとしていた時代。北野社長も、所有馬メジロムサシを凱旋門賞に挑戦させるなど奮闘していました。メジロムサシは18着と大敗だったものの、これは価値のある挑戦であったと思います





北野社長はシェリルを落札した後も、競走生活はフランスで行わせ、オペラ賞を勝たせることとなります。そして現役引退後、日本へ輸入。当時からメジロ牧場期待の繁殖牝馬だったことは想像に難しくありません





ところが1977年、シェリルが父メジロサンマンの牝馬を産み落とした後、ちょっとした騒動が発生します。
その年シェリルと交配されたのは、天皇賞馬メジロアサマアサマは種牡馬入りして最初の年の受胎率がなんと0%、『種無しスイカ』とも揶揄された存在。そんな種牡馬を牧場期待の繁殖牝馬と交配させるなど、いくら社長の方針でも従業員が反対したのは間違いないでしょうね。周囲にはアサマに固執する北野社長を笑った人もいたはずです





しかし北野社長の執念か、シェリルはアサマの子を受胎。翌年生まれた芦毛の牡馬が、後に天皇賞秋を勝つメジロティターンです。母シェリルの繁殖としてのポテンシャルが高かったのだとは思いますが、まさにティターンは北野社長の執念が誕生させた名馬としか思えません






ティターンが種牡馬入りした年、北野社長は亡くなります。
この時の『ティターンの子から天皇賞馬を』という遺言はあまりにも有名ですね。






それ以降、 メジロ牧場は北野社長の妻であるミヤ夫人が中心となり運営。
ミヤ夫人は競馬ファンの間でも競馬場に和服で来場する『メジロのおばあちゃん』として有名でしたね。





北野社長が亡くなった3年後、菊花賞や有馬記念を勝ったメジロデュレンの母でもあるメジロオーロラが、父メジロティターンの芦毛の牡馬を生みます。
アメリカの名優スティーブ・マックイーンから名前を取られたこの馬が、後にG1を4勝する名ステイヤー、メジロマックイーンです。





マックイーンは1991年天皇賞春で武豊騎手を背に快勝。北野社長の遺言通り、ティターンの子から天皇賞馬が誕生し、メジロアサマから3代続けて天皇賞馬が出るという快挙を成し遂げたのです。まさに北野社長 の夢が叶った瞬間でした。この時はミヤ夫人も、亡き夫の悲願が叶ったことで号泣されたと聞きます




しかし、メジロマックイーンは天皇賞春を勝った後に臨んだ宝塚記念で、メジロ牧場の同期であるメジロライアンに敗北。




メジロライアンはそれまでG1で好走はすれど1着には手が届かず、これが嬉しいG1初勝利。鞍上は関東若手期待の星だった横山典弘騎手『ライアンが一番強い』と度々公言してきた同騎手にとって、これが牡馬に乗ってのG1初勝利。今では日本ダービーを2勝、日本を代表する名手となった横山騎手に最も影響を与えた馬かもしれません




そんなメジロライアンの母は、先ほどちょっと出てきたシェリルとメジロサンマンの子、メジロチェイサー。ライアンにとってもメジロティターンは叔父にあたり、シェリルは祖母にあたります孫2頭がG1でワンツーしたことを考えると、シェリルが相当な繁殖ポテンシャルを持っていたことが改めてよく分かりますね






メジロマックイーンとメジロライアン。どちらも引退後に種牡馬入りしますが、メジロドーベルメジロブライトなどを輩出し、内国産種牡馬の雄と言われたライアンと比べて、マックイーンの種牡馬成績はなかなか振るわず







そんな中、メジロ牧場は次第に衰退。サンデーサイレンス全盛期の中、『長所を伸ばすこと』を意識して常に長距離血統に長距離血統を交配してきたメジロ牧場は、次第に時代から取り残されていっていたのかもしれません。
2000年に近隣の有珠山が噴火したことも衰退の一因となったかもしれませんが、やはり急速にスピード化が進んだ日本競馬に対応できなかったことが直接の衰退の原因だと思われます。メジロ牧場最後のG1勝ちとなったメジロベイリーの父がサンデーサイレンスであったことは何とも皮肉なことです






2004年には北野ミヤ氏も亡くなり…2011年5月。メジロ牧場は解散します。数々の名ステイヤーを輩出し、日本競馬をリードしてきた名門牧場の解散は、競馬ファンに衝撃を与えることとなりました。






それから2ヶ月と経たない2011年7月9日函館競馬場で行われた新馬戦をとある芦毛の牡馬が制します。
父はステイゴールド、母ポイントフラッグの父はメジロマックイーン







そうですね、今日のお題であるゴールドシップです。(2年前ゴールドシップを取り上げた時のお話『星の王子さま~皐月賞馬ゴールドシップ、80年の物語~』http://umacollege.blog.fc2.com/blog-entry-82.htmlも良かったらどうぞ。)




祖父メジロマックイーンと同じ芦毛の馬体で、雄大なフォームから繰り出されるパワフルな末脚には多くの人々が魅了され、北野社長がシェリルを輸入してから38年近く経った2012年の皐月賞でG1初制覇。38年の間にメジロ牧場は無くなってしまいましたが、ロングスパートで他馬のスタミナを削るゴールドシップにはメジロの面影を見ることができます。





シェリルが第一回オペラ賞を制して40年。ロンシャン競馬場にゴールドシップの姿がありました。鞍上はシェリル、メジロ牧場とも縁の深い横山典弘騎手。これまでの2年、同じくステイゴールド×メジロマックイーンの組み合わせだったオルフェーヴルが好走していたこともあり、フランスの競馬ファンの間でも、この『黄金配合』を知っている人がいたかもしれません





何よりフランスのオールド競馬ファンにとって、3年連続で血統表にシェリルの名前がある馬をロンシャン・凱旋門賞の大舞台で見ることができる、それは喜びであり、競馬の醍醐味でもあるのかもしれません。地元の大レースに遠く日本から挑戦してくる馬に地元と縁の深い血が流れているわけですからね。







ちなみに。







凱旋門賞の一つ前に行われるレースはオペラ賞ですが、凱旋門賞の一つ後(現在はアラブG1レースを挟んで次にあたる)にあるレースがG1・フォレ賞。シェリルがオペラ賞を勝った年、フォレ賞を勝ったのは、あのノーザンテーストゴールドシップの体内に流れている「血」です。ゴールドシップの血統は父系も、母系も、フランスに縁があるのです。






ゴールドシップの結果は14着と決して芳しいものではありませんでしたが、レース後、横山騎手は『馬はよく頑張ってくれた』というコメントを出しました。





常々『馬はよく頑張っている』というコメントを残す横山騎手。


凱旋門賞前にも『未勝利もG1も一緒。無事にゴールまでたどりつくのは大変なこと』というコメントも残していましたが、彼のこのようなコメントは、馬へのリスペクト、そして競馬の厳しさを誰より知っているからこそ出てくるものでしょう。17年前、海外遠征を渋る馬主に遠征を直訴し、遠くドバイの地で星となったホクトベガの経験が、彼の中で今も生きていることがよく分かります。






今回、ゴールドシップの結果は決していいものではありませんでした。しかし彼の体内に流れるメジロ牧場の血は、挑戦と、執念の歴史で出来ています。これで彼の挑戦が終わったわけではありません。挑戦の歴史は彼がまた創っていくことになるだろうと思います。






それこそ来年の凱旋門賞は、今年横山騎手と共にダービーを制したワンアンドオンリーが挑戦しているかもしれません。いつの日か、日本馬が凱旋門賞馬の栄誉を手にするその日が楽しみでなりません。








以前、この血統昔話でちょっと取り上げたハープスターも凱旋門賞に挑みましたが、結果は6着
そういえば、鞍上の川田騎手の初重賞制覇となったのはメジロ牧場生産のメジロマイヤーでしたね。川田騎手の故郷・九州で行われた小倉大賞典。この勝利は川田騎手の重賞初制覇でブレークのきっかけとなり、そして長い歴史を持つメジロ牧場にとって、これが生産馬最後の重賞勝利でした。川田騎手もこれからまた海外の大きな舞台に立つ日が来るでしょう。今回の経験がその時に活きることを願うばかりです






メジロ牧場は現在レイクヴィラファームと名前を変え、マーケットブリーダーとして新たな歴史を作り始めています。日本の頂点を争うノーザンファームからノウハウを得て、より現代の潮流に乗ったサラブレッド生産を行っているようです。





そんな中、今年ショウナンラグーンが青葉賞を制覇。レイクヴィラファーム生産馬にとって初重賞制覇でした。ラグーンの母系を辿ると、祖母はメジロドーベル。更に辿るとメジロ牧場を支えた名牝系の祖メジロボサツに行きつきます。名牝シェリルを祖母に持つメジロライアンが母母父に入り、6代母までがメジロの冠名を持っているラグーンにも、メジロの執念の血が流れていると言っていいのではないでしょうか。ショウナンラグーンは来週の菊花賞に出走登録していますが、それも含めて、この先の活躍が楽しみですね






後輩たちの活躍を、レイクヴィラファームに眠るメジロの歴代の名馬たちも空の上から眺めていることでしょう







さて、今日も長々と書いてきました。そろそろお手元におつまみのお菓子がなくなったころかと思います(笑)
今日はメジロ牧場・北野社長の執念と挑戦が生んだ奇跡のようなお話を書かせてもらいました






メジロの長距離血統を掛け合わせるという方針は間違っていないと思います。スピードが重視される現代競馬において、潜在的スタミナが求められてくるようになりましたが、ステイゴールド×メジロマックイーン、いわゆる『黄金配合』から数々の名馬が生まれているように、いずれメジロの血を受け継いだ馬から活躍馬が出てくることになるでしょう





血統派であり、血統好きでもある私にとって、池江泰郎元調教師のサイン入りメジロマックイーンの血統表は所持している競馬グッズの中で一番お気に入りのものでもあります。今、棚に飾ってあるその血統表を眺めながらこの文章を書いていましたが、北野社長の執念の塊であるマックイーンの血統表は、いつ見ても美しく、いつ見ても素晴らしいものですね






秋のG1シーズンが始まりましたが…
そうそう、うまカレの後輩たちがまた色々と企画を考えているようですよ






フリーペーパーに加え、イベントの企画などもしているようです。
様々な大学から会員が集まり、次第に勢力を拡大しているうまカレにも、間もなく5代目の代表が誕生しようとしています。





早いですね…そう考えると何だか自分が年を取ったような気がしてきます(笑)
そういえば最近走るとすぐに息が上がり…ああ、それは単なる運動不足の影響か。






4代目中心のうまカレも、あと少し。5代目はどういったうまカレを作ってくれるのでしょう。





皆様、これからもうまカレの応援、よろしくお願いいたします。






次回の登場はいつでしょうね…またネタができたら登場するかもしれません。




以上、うまカレ初代代表・早大お馬の会佐藤でした!






アディオス!


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佐藤ワタル
血統ブログ

想いの花咲く頃~奇跡の血を持つ馬と、その夢を繋ぐ者たちの挑戦~




皆さんこんにちは、お久しぶりです。
うまカレ初代代表、早大お馬の会佐藤ワタルです。





4ヶ月ちょっと振りですかね…皆様お元気でしたか。
夏も真っ盛りです。暑さで参っているという方も多いかもしれません。




それ以上に突然の大雨が困ったもので。
先日東京競馬場で花火大会が開催されましたが、当日は夕方から酷い大雨に。その代わりと言っては何ですが、花火と雷のコラボレーションという貴重な?シーンを見ることはできました。




何にせよ、皆さま、水分補給は怠らないようにしましょう。







と雑談はこのくらいにして。





今年の3月まで、毎月『血統昔話』ということでお題の馬を決めて色々書いてきましたが、久々の新作になります。
今回取り上げる馬は、毎月連載してた頃に書こうと思っていた一頭ですが、どうにもきっかけがなく、書く機会がないまま連載終了となった名馬です。





ということで皆さん、久々ではありますが、お手元に飲み物とおつまみのお菓子の用意はいいですか?
今日も長くなりそうですよ…















先日、函館競馬場にグラスワンダースペシャルウィークが来場しました。
当日は朝早くから多くのファンが詰めかけたとの事。現役時代は数々の名勝負を演じた2頭ですが、その人気は今も衰えることがありませんね。




1995年産まれの競走馬は多数の活躍馬が出たことから『黄金世代』と呼ばれていたりもします。セイウンスカイファレノプシスアグネスワールド、エアジハード、ウイングアロー…芝ダート問わず各カテゴリーに活躍馬を輩出したことが、この世代の評価をよりいっそう高めたと言えるのではないでしょうか。






1999年12月26日…中山で行われたあの有馬記念
後の「世紀末覇王」ことテイエムオペラオーとツルマルツヨシを抑え切ったグラスワンダーとスペシャルウィークの2頭によるゴール前壮絶な叩き合いは、今でも名勝負として語られていますね。





その2日後の12月28日、とある一頭の偉大な牝馬がこの世を去ります。今日はその牝馬から、物語を起こしていきます。






さかのぼること50年前、アメリカでソングという牝馬が誕生します。自身も5勝した活躍馬ですが、この牝馬の名前が現在でも有名なのは、何と言っても1969年にとある偉大な繁殖牝馬を出産したからでしょう。




父にアルゼンチン4冠馬で名種牡馬としても知られるフォルリを持つ、この牝馬の名前は、スペシャル今日の『お題』のルーツとなる名繁殖牝馬です




現役時代こそ1戦して未勝利だったスペシャルでしたが、繁殖入り後に大種牡馬ヌレイエフを輩出。ヌレイエフは有名どころでは、トゥザグローリー、トゥザワールド兄弟などの血統表でその名前を見ることができますね。今年のオークスを勝ったヌーヴォレコルトも、母父父がヌレイエフ。
父親としても、安田記念を制したブラックホークや凱旋門賞馬パントレセレブルなど、世界的な種牡馬に相応しい産駒成績を残しています。



スペシャルが凄いのは、息子だけでなく娘も名繁殖馬になったことでしょう。ヌレイエフの半姉にあたるフェアリーブリッジが、サドラーズウェルズ・フェアリーキング兄弟を輩出しました。



サドラーズウェルズは、ヨーロッパの血統勢力図に大きな影響を与えている一頭。中でも息子のガリレオは、怪物フランケルを送り出すなど欧州リーディングサイヤーとして現在活躍しています。フェアリーキングもまた種牡馬として成功し、日本ではハープスターの母父父にその名前を見つけることができます。共に偉大な種牡馬と言えます。



ヌレイエフフェアリーブリッジの妹にあたるナンバーも日本に輸入された種牡馬ジェイドロバリーを産むなど、このスペシャルの血は今も日本競馬に大きな影響を与えています。




さて、他にも多数活躍馬を送り出していたスペシャル、ソング、そしてその母ラフショッドの作る牝系ラインに惚れ込んだ一人の日本人がいました。それが渡邊隆オーナー。



父の渡邊喜八郎氏も日本初の芦毛クラシックホース・プレストウコウを所有しているという、馬主家庭に育った隆オーナー。若い頃にイギリスダービーを現地観戦して以来、「いつか世界レベルの血統を自分の手で育てたい」という思いを持つようになり、このスペシャルの牝系に惚れ込んで、その血統を持つ馬を探すようになります。



各国の繁殖牝馬セールのカタログ全てに目を通すほどだったようで、まさに執念の一言。
私も趣味は「海外セリ研究」なので分かりますが、カタログ1冊をチェックするだけでもかなり時間が掛かるものです。当然、ひとつひとつ翻訳していかなければいけませんし、大規模セリのカタログなどは分厚いので、終盤は頭痛が発生します…



そうして迎えた1992年冬。アイルランドで行われたタタソールズ社ディセンバーセール。この繁殖牝馬セールのカタログを眺めていた渡邊オーナーはスペシャルの血を持つ牝馬を発見。父は2代母にスペシャル、3代母にソングを持つ大種牡馬サドラーズウェルズ。母方にも3代前にソングを持つこの牝馬は、まさに渡邊氏が探し求めていた繁殖牝馬でした。



早速、渡邊オーナーはこの牝馬を落札しようとしますが…その牝馬は体調不良で上場が取り止めに。
渡邉オーナーの夢は再び振り出しに戻るかと思いきや、そこで諦めるオーナーではありません。
繋養されていた牧場に直接交渉を始めます。周囲は見栄えがしないその馬体を理由に購入に反対したようですが、渡邊オーナーはその信念に基づき、買い付けに見事成功します




この時購入した繁殖牝馬こそサドラーズギャル。見栄えのしなかったサドラーズギャルですが、その後「日本競馬の歴史を塗り替える」ことになろうとは、まだ渡邊オーナー本人も想像していなかったことでしょう。




アイルランドからアメリカの所有する牧場に移されたサドラーズギャル。初年度は諸般の事情により大種牡馬エーピーインディを交配しましたが、血統好きの渡邊オーナーは翌年の交配相手をこのとき既に決めていました。




その交配相手こそ、種牡馬入りしたばかりであったヨーロッパのトップマイラー・キングマンボ
父はアメリカの歴史的大種牡馬ミスタープロスペクター、母はG1を10勝した名牝ミエスク。妹もG1を3勝したイーストオブザムーンなどがいる超良血馬です。




ただ、キングマンボは今でこそ大種牡馬として知られていますが、当時は実績未知数の立場にあります





渡邊オーナーがキングマンボを気に入っていたのは、その良血ぶりだけではなく母がミエスクだったということ。それも、G1を10勝したという実績ではなく、ミエスクの父がヌレイエフだったことにあります。つまり、スペシャルの子です。



少し専門的な話になりますが、キングマンボとサドラーズギャルを交配すれば、産まれてくる子は「ソングの5×5×4」というクロスが発生します。スペシャルと、その全妹リサデルで作る『トリプルクロス』というのは大変珍しい配合で、血統をある程度知っている人物であればためらってしまうくらいの近親交配にあたります。血統好きの渡邊オーナーにとって、これは『血統への挑戦』だったのでしょう。




サドラーズギャルは、翌年無事に黒鹿毛の牡馬を産み落とします
日本に輸出されたこの牡馬に、渡邊オーナーは以前から期待馬に「ある馬名」を付けようと決めていました。それはとっておきの名前です。




アメリカの名フォークデュオ・サイモン&ガーファンクルがカバーした、アンデスのフォルクローレの代表曲『コンドルは飛んでいく』がその由来です。






コンドルは飛んでいく…スペイン語で『El Cóndor Pasa』






そうですね、今日のお題はエルコンドルパサーです






スペシャルの名前が出たあたりで気づかれていたかもしれませんね(笑)




美浦・二ノ宮敬宇調教師の元でデビューを果たしたエルコンドルパサー。デビュー戦がダート競走だったのは有名なエピソードですね。その後連戦連勝を重ねると、無敗でG1・NHKマイルカップを制覇します。
当時外国馬はクラシック出走不可のため、次走は毎日王冠に。ここでは伝説の「サイレンススズカによる逃走劇」の前に完敗を喫するも、次走ジャパンカップはエアグルーヴスペシャルウィークを制して優勝。これが1998年の3歳(当時の表記は4歳)世代のレベルの高さを証明することとなります。




実はその年の夏。渡邊オーナーは、二ノ宮調教師らエルコンドルパサーの関係者を召集していました。
その理由は、翌年の海外遠征プランについて
日本競馬史に残る『挑戦』は、ここからもう始まっていたのです。



1999年・春。エルコンドルパサーはいよいよフランスに降り立ちます。
じっくりと環境に慣れさせて、エルコンを現地の競走に適応させる…この長期遠征の視線の先にあったのは、秋に行われる世界最大のレース・凱旋門賞




当時は全てが「手探り」でした。滞在する厩務員の生活環境を整え、それに加えてエルコンドルパサーの飼い葉や飲料水に至るまでを日本で用意・フランスに輸送する日々が続きます。フランスで受け入れ先となったトニー・クラウト厩舎も、タイキシャトルで一度日本馬遠征を受け入れているとはいえ、慣れないことも多かったはず。当時の凱旋門賞の賞金額と滞在費用を比較して考えた場合、これは商業的に「まるで利のない」遠征だったと言えます。




しかし、渡邊オーナーや二ノ宮調教師など『チーム・エルコンドルパサー』の挑戦は、お金以上に「名誉を獲りに行った」ものです。二ノ宮調教師らスタッフは入念な下見を重ね、何が起こってもいいように、イギリス、アイルランドなどの近隣国へも視察に赴きます。




初戦となったG1イスパーン賞は、後に日本に輸出され種牡馬として川崎記念を勝ったフィールドルージュを送り出すことになるクロコルージュに敗れた2着。それでも陣営は手応えを掴み、迎えた2戦目はフランス・サンクルー競馬場で行われたG1・サンクルー大賞。




このサンクルー大賞の相手には、前年の凱旋門賞馬サガミックス、前年のフランス、アイルランド両ダービーを制覇したドリームウェルなど、かなりメンバーが揃っていました。このレースでは61キロという重い斤量を背負ったエルコンドルパサーでしたが、並み居る強豪を抑えての優勝。日本競馬史に残る大勝利となり、一気に凱旋門賞の有力候補となります。




このレースの前から、エルコンドルパサーを付きっきりでサポートしていたのが、二ノ宮厩舎の佐々木調教助手です。
サンクルー大賞の後も、異国でエルコンドルパサーと向き合い丁寧に仕上げました。普段の美浦トレセンとは設備も、調教コースも、全てが違う環境で凱旋門賞の有力馬を仕上げるのですから、その緊張は想像もできません。




秋初戦の凱旋門賞前哨戦であるG2・フォワ賞は、フランス初戦で負けたクロコルージュ、そしてドイツダービー馬ボルジアが相手と、わずか3頭立てのレースになりましたが、ここは完勝します。





そして迎えた1999年10月3日。第78回凱旋門賞。





降り続いた雨により馬場コンディションは不良。ペースメーカーの出遅れなどで逃げる展開となったエルコンドルパサーは直線を迎えても先頭を守り、逆にリードを広げます。ついに日本競馬の悲願である凱旋門賞制覇成った…かに思えた残り200m地点。鋭い末脚で鹿毛の牡馬が迫ってきました




モンジューです。フランスダービーなどを制覇し、当日の最有力候補でもあった同馬は、道悪をものともしない末脚でエルコンドルパサーとの差を詰め、最後は半馬身差交わして1着に。日本競馬界の夢、そして渡邊オーナーはじめチーム・エルコンドルパサーの夢はこのモンジューに打ち砕かれることとなるのです






フランスの各メディアはこう伝えました。
第78回凱旋門賞はチャンピオンが2頭いた』と。






競馬は1着になったものが強い、色々な意見はありますが、それが競馬。過去、凱旋門賞で2着した馬がこれだけ称えられたことがあったのでしょうか。




斤量差、展開、馬場…何か違っていれば勝っていたかもしれません。
ただ、この第78回凱旋門賞で先頭でゴールしたのがモンジューなのは事実。競馬にタラレバは禁物です。



そしてチーム・エルコンドルパサーは解散。モンジューが日本遠征しスペシャルウィークに敗れたジャパンカップ当日にエルコンドルパサーは引退式を行い、ターフに別れを告げました






その翌月…冒頭にも書いた1999年12月28日。
偉大な繁殖牝馬スペシャルが亡くなります。30歳は、サラブレッドでは長生きの部類に入りますね。実はモンジューも父母母がスペシャルですから、改めて素晴らしい繁殖牝馬だと思います





その3年後には、エルコンドルパサーが腸ねん転を発症、7歳の若さでこの世を去ります
ちょうど今頃、暑い時期でしたね…。




残された決して多いとは言えない産駒からは、ヴァーミリアンという大物が登場しました。
今年から初年度産駒はデビューを果たしていますが、早速中央でも勝ち馬が誕生。地方競馬には、ホッカイドウ競馬所属のエンターザスフィアが将来の大物候補と噂されているように、種牡馬生活として悪くないスタートを見せています。




もちろんエルコンドルパサー世代のスペシャルウィークとグラスワンダーも種牡馬として活躍中です。
2頭には長生きして欲しいものです。そしてまた、一般ファンの元に来る機会があるといいですよね







そろそろお手元の飲み物、お菓子がなくなってきましたか…?
新宿で中央線に乗った時から読み始めれば、そろそろ三鷹あたりに着いたころかもしれませんね(笑)もう少し、お付き合いいただければと思います。






チーム・エルコンドルパサーが解散した8年後
2007年セレクトセールで、1頭の鹿毛の牡馬が1000万で落札されました。父はステイゴールド。今ではステイゴールド産駒の牡馬が1000万など考えられないくらい安いですが、当時はまだ種牡馬としてのステイゴールドは活躍を見せていませんでしたからね。




落札したのは元日本馬主協会会長の和泉憲一氏。娘の和泉信子氏の所有馬としてナカヤマフェスタと名付けられ、二ノ宮厩舎に入厩。その3年後、ブエナビスタドリームジャーニーを破って宝塚記念を制覇することとなりました。




しかし、馬主であった信子氏は2009年にガンのため既に他界。
悲しい出来事を乗り越えてのG1制覇だっただけに、この時の陣営の喜びもひとしおだったかと思います。




2010年秋。ナカヤマフェスタは信子氏が大好きだった街・パリのロンシャン競馬場にいました。宝塚記念後に同馬の遠征計画が発表され、チーム・エルコンドルパサーが再集結





受け入れ先もエルコンドルパサーと同じトニー・クラウト厩舎。帯同助手も同じく佐々木助手。チーム名は、同じく生前の信子氏が大好きだった宝塚歌劇団から『チーム・すみれの花』と名付けられました。





私の敗戦を超えてゆけ!




エルコンドルパサーが繋いだ「夢」は、再び動き始めます。





2010年10月3日。第89回凱旋門賞。奇しくも、エルコンドルパサーが凱旋門賞に挑戦してからちょうど11年後のこの日、ナカヤマフェスタは同じロンシャンの地で、イギリスダービー馬ワークフォースと死闘を演じます。しかし、惜しくも2着に敗退。




またしても届きませんでしたが、二ノ宮調教師はレース後のインタビューで更なる挑戦を約束。エルコンドルパサーからすみれの花、そして次代に受け継がれた夢は、まだ終わっていません。
いつかまた、夢の続きを見せてくれる馬は現れるはずです。




エルコンドルパサーやナカヤマフェスタを受け入れたトニー・クラウト厩舎には、1頭の牝馬がいます。その名前はKIZUNA。昨年の日本ダービー馬と同じ名前を持つ同馬は、フェスタ同様和泉オーナーが馬主でもあります。将来的にナカヤマフェスタの交配相手として購入された同馬は、日本とフランスの『縁』にちなみ、そう名付けられたそうです。





日本のキズナも昨年凱旋門賞に挑戦しましたが、4着。今は骨折の治療をしながら再起を図っていますね。
キズナにしても、まだ夢が終わったわけではありません。夢の続きを見せてくれるのは、実はこの馬かもしれません。
















さて、今日も長々と話にお付き合いくださりありがとうございました。久々ということもありますが、また長くなってしまいました…




今回は一人の日本人が惚れ込んだ血統、そしてそこから見た夢、その夢の続きのお話でした




渡邊オーナーや二ノ宮調教師の情熱に加え、クラウト調教師らのサポート、佐々木助手らの献身的な調整1頭のサラブレッドに関わる人々の夢、挑戦の歴史を今回少しでも知っていただけたなら幸いです。




普段、何気なく見ている競走馬一頭一頭に関係者の想いが詰まっています。それを意識して競馬を観ると、競馬が更に面白く感じられるかもしれませんね。





そういえば、今年4月、エルコンドルパサーは30頭目の顕彰馬に選出されましたね。ホントようやく…という感じですが。




中央競馬所属の最後のエルコンドルパサー産駒だったトウカイトリックが引退したのも今年。乗馬として新たな活躍が期待されていましたが、4月に急死。ファンが多い馬だったこともあり、大変残念な出来事でしたね…個人的にステイヤーが好きということもあり、私自身大変ショックな出来事でした。




先日松前特別を勝って自身4勝目を挙げた一口馬ジャイアントリープ。彼の母の父がエルコンドルパサー。母父にエルコンドルパサーが入っていたことも、出資段階で彼を気に入った点の一つでした。エルコンドルパサーの血は前述の通り大変複雑で、魅力的。母父としても様々な可能性があると考えています。



いつか、エルコンドルパサーの血を後世に残す存在となってほしいですね。
渡邊オーナーがいなければジャイアントリープもこの世にいないわけで、オーナーには感謝の気持ちと、血統好きの先輩への尊敬の気持ちでいっぱいです。





4代目が中心となるうまカレも夏を迎えました。発足から4年目ということで、うまカレはまた新しい段階を迎えているようです。




初代としては時間の経過の早さに驚くとともに、後輩たちの頑張りを嬉しく思っています。
ホント、嬉しく思っているんですよ(笑)




新しい企画も色々考えているようですね。それこそ、渡邊オーナーは自分の信念に基づき、常識に挑戦し、エルコンドルパサーという名馬を生みだしたことを考えれば、『信念を持って挑戦すること』の重要性を深く感じます。






後輩たちには常に新しい分野に『挑戦』してほしいですね。楽しみにしていますし、これを読んでいただいている皆様、これからもぜひうまカレをよろしくお願いします。








さて、次回の血統昔話はいつになるかは分かりませんが、その時もお楽しみに! 早大お馬の会佐藤ワタルでした!アディオス!








最後に…小岩井牝系フラストレート一族出身のヴェルデグリーンが亡くなりました。
有馬記念で引退レースのオルフェーヴルに真っ向勝負を挑んだ姿は忘れません。ご冥福をお祈りします。

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オリオールは永遠に~女王の血統を持つ最強馬~

皆さんこんにちは!うまカレ初代代表、早大お馬の会佐藤です




だいぶ外も暖かくなってきましたね。続々とG1トライアルレースが終わり、今週末はいよいよ高松宮記念春のG1戦線が始まります。 注目馬はそれぞれみなさんにもいるかと思いますが、果たしてどのようなドラマが生まれるのか…興味は尽きません。





さて、一昨年秋から連載が続いていた血統昔話もついに連載最終回となりました




様々な馬、人を取り上げてきましたが、少しでも皆さんに血統の面白さ、血統の持つドラマの素晴らしさが伝わっていたら嬉しいです





今回は最後ということで、競馬ファンだけではなく一般的知名度も非常に高いあの名馬について昔話をしていきたいと思います









毎回恒例ですが、今日も長くなりそうです。お手元に飲み物とおつまみのお菓子の用意はよろしいでしょうか…?










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突然ですが、皆さん、イギリスへ行ったことがありますか…?




私は行ったことがありません。いつかはこの国に行きたいと思っています。




イギリスは「近代競馬発祥の国」とも言われ、現在も数々のビッグレースが行われてます。中でも伝統の『ダービー』今年235回目を迎えます。一度は本家ダービーを生で観戦したいものです





そんなイギリスの国家元首は、ご存じエリザベス2世女王陛下。今日まで在位62年、女王陛下はイギリスの象徴とも言える存在です






そんなエリザベス女王の日課を皆さんはご存知でしょうか?






女王陛下は毎朝、紅茶を飲みながらイギリスの競馬専門紙『レーシング・ポスト』に目を通すことが日課なんだそうです。



無類の競馬好きで知られる陛下は、毎年6月にアスコット競馬場で行われるロイヤルアスコットレースミーティング、いわゆる『ロイヤルアスコット』を主催。自らも女王の別邸として有名なウインザー城から馬車に乗って競馬場に出向き、これをご観戦されます。




もちろんエリザベス女王は馬主としても知られており、その勝負服は金細工が施された特注品過去2度イギリスリーディング(賞金王)馬主となったほか、昨年のロイヤルアスコットでは、日本の帝室御賞典(天皇賞)のモデルでもある伝統のG1・ゴールドカップを、所有するエスティメイトが優勝しています。



そんな女王の所有馬は、主要レースを数多く制覇しているにもかかわらず、なぜか『ダービー』だけは勝てないとされています。3年前には、所有馬カールトンハウス1番人気となるも、落鉄の影響もあって3着惜敗女王の所有馬がイギリスダービーを勝つことは、イギリス国民の悲願と言えるかもしれません



大井の帝王・的場文男騎手も東京ダービーをなかなか勝てませんが、ある意味「王様がダービーを勝つ」のはなかなか難しいことなのかもしれませんね(苦笑)






それは置いておいて。





女王陛下の所有馬として最も有名なのは、女王の両親の名前を冠したG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、いわゆる『キングジョージ』を勝ったオリオールでしょう



ギリシャ神話の神『太陽の支配者』の名である偉大な種牡馬ハイペリオンを父に持ち、「天使」アンジェロラが母親というオリオールは、まさに『後光』という馬名通りの活躍を見せました。同馬は種牡馬としても優秀な成績を残し、産駒からは凱旋門賞馬セントクレスピンが誕生。セントクレスピンは後に日本に輸入され、現在スペシャルウィークの母母父などに名前を残しています。





1974年のフランスオークスを勝ったハイクレアも、エリザベス女王が所有した一頭。ハイクレアの母系は世界的名門で、現在は種牡馬として活躍中のテイルオブザキャットや、日本ではホウライアキコなどを輩出しているヨハネスブルグといった馬も、この一族出身です。





そのハイクレアの娘ハイトオブファッションも、エリザベス女王所有馬として現役生活を送り7戦5勝の成績。当時は2歳女王決定戦フィリーズマイルがG2だったためG1タイトルこそありませんでしたが、引退後はシェイク・ハムダン殿下に購入され、繁殖に。そこから産まれた第3子が、あのニジンスキー以来のイギリス2冠馬を達成したナシュワン。凱旋門賞馬バゴや、キングジョージ連覇を果たしたスウェインの父でもある名馬を誕生させたハイトオブファッションは晩年にも、英国の誇るG1プリンスオブウェールズステークス、チャンピオンステークス・インターナショナルステークス3つを制したネイエフを出産。2002年にハイトオブファッションは死亡しますが、この一族の勢いは現在もとどまることを知りません






そんなハイトオブファッションの2歳上の半姉バークレアーが、1991年に産んだ牝馬の名がウインドインハーヘア。後にドイツG1アラルポカル(現在のラインラントポカル)を制することとなります




ウインドインハーヘアがアラルポカルを制した際に実はお腹の中に子どもがいた」という話は有名ですね。海外ではたまに種付けして受胎が確認された後に、現役復帰させて走らせるという手段が見られますが、それでG1を勝ったという例は珍しく、彼女の高い能力が伺えます。




しかもこのアラルポカルで倒したメンバーの中には、G1を3勝し後にドイツを代表する種牡馬となるモンズンがいたことを考えると、驚異的です。




アラルポカルを勝った際に受胎していたアラジとの仔は翌年無事に生まれ、グリントインハーアイと名付けられて競走馬デビューを果たします。



ところがこのグリントインハーアイがまるで走らずウインドインハーヘアの繁殖牝馬としての能力に疑問符が付き始めたころ優秀な母系に目をつけたノーザンファームが購入、日本に輸入されることとなります


輸入後、2番仔のヴェイルオブアヴァロンが米G3を勝つなど活躍したことを考えると、ウインドインハーヘアを輸入するタイミングはこの時だけ。まさに、ウインドインハーヘアの日本輸入は運命だったのです






日本でウインドインハーヘアという繁殖牝馬が注目され始めたのは2003年の夏





3番仔シーキングザゴールド産駒の牝馬レディブロンド5歳にして、函館競馬場で行われた1000万条件TVh賞でデビューを果たします。5番人気と低評価ながら、これを目の覚めるような末脚で優勝。その後3ヶ月間で土付かずの4連勝を果たすと、連闘でG1スプリンターズステークスに挑戦
鞍上は柴田善臣
結果はデュランダルから0.2差の4着
健闘したと言えますが、その後歩様に異常が見られたため引退。レディブロンドにとってわずか3か月半の現役生活が終わりました




なかなか珍しい戦績を残したレディブロンドはその後、2009年に急死するまで繁殖牝馬として5頭の仔を生みます。ところが帝王賞を制したゴルトブリッツ含め、2頭がすでに他界。残された牝馬のラドラーダガールオンファイアには、将来に血を残す期待がかけられています








そんなレディブロンドの激動の夏からさかのぼること約1年前








北海道で行われたセレクトセール当歳市場に、1頭の鹿毛の牡馬が上場されました






父は大種牡馬サンデーサイレンス。母はウインドインハーヘア。その7番仔にあたります





6番仔で全兄のブラックタイドは、好馬体を評価されて1億ほどで落札。しかし同馬は小柄のためそこまで評価が上がらず、7000万円ほどで落札



7000万といえば高いように感じますが、この頃は同年他界することとなる、サンデーサイレンスの産駒が「いちおく!」の掛け声に代表されるように、どんどん高値で落札されていた時代。1億円の評価になっても特に不思議ではないサンデー産駒で母が海外G1馬ということを考えれば、安い評価額と言えます実際、この年のセレクトセールに上場されたサンデーサイレンスの産駒の中でも落札額は低い部類でした





落札したのは全兄ブラックタイドと同様、株式会社図研の社長である金子真人氏。過去にクロフネ、キングカメハメハなどの名馬を所有した大オーナーは、『瞳に不思議な力を感じた』と、この小柄な鹿毛の牡馬を落札します





今考えても凄い理由です。私もいずれ『瞳に不思議な力を感じた』という理由で競走馬を落札するくらいに出世したいものです(笑)ちなみに金子オーナーは、私の大学の先輩でもあります。学部も同じ。偉大な先輩に追いつけるよう私も頑張ろうと思う次第です。






さて、この落札された鹿毛の牡馬は変わらず小柄ですが、順調に成長します。その後2歳となった秋、全兄ブラックタイド同様に栗東の池江泰郎厩舎に入ります






ブラックタイドはスプリングSを優勝するなど活躍。同馬も周りからは期待されていたようですが、変わらない小柄な体系に、陣営の方は活躍できるか半信半疑だったそうです。







そうですね。言わずもがな、



今日のお題はディープインパクトです









その後の活躍に関して改めてここで書く必要はないでしょう。







あの新馬戦は当時自宅で眺めていましたが、あまりの強さに食べてたカップラーメンが鼻から出そうになったくらいで。







個人的にディープが一番強かったのは天皇賞春だと思っています掟破りの3コーナー前からのロングスパート、そしてレコード勝ち。2着リンカーンに騎乗していた横山典弘騎手が残した『生まれた時代が悪かった』という言葉が、その全てを表しています。本当に、圧倒的な強さでした。







引退レースの有馬記念は、実際に中山競馬場に観に行きました。生で見るディープの走りはまるで猫のようなフォーム。あの走りは今も目に焼きついています





すでに種牡馬としても多数の活躍馬を輩出。今年はハープスターなどの注目馬が春のG1戦線を賑わせることでしょう










一方、女王陛下の最高傑作オリオールはというと、産駒は活躍したものの次第に勢いを失い、直系で残っている系統はほとんどないという状況になっています






しかし、ディープインパクトの主戦だった武豊騎手に100勝目のG1をプレゼントしたトーセンラーは、3代母父が凱旋門賞馬ヴェイグリーノーブル同馬の父は、オリオール産駒のヴィエナなので、トーセンラーは父方にも母方にも、エリザベス女王の所有馬の血が入っていることになります。




実はこのヴィエナを生産、所有したのは『一国の宰相になるより、ダービー馬のオーナーになる方が難しい』という言葉を残したとされる、元イギリス首相のウィンストン・チャーチル。国王の所有馬の息子を首相が所有というところ辺りがイギリスです(笑)





トーセンラーは『女王の血統』と言うと大げさかもしれませんが、エリザベス女王に大変縁があることは確かです。牡馬なのでエリザベス女王杯には出走できませんが(笑)日英を繋ぐ存在ともいえる同馬には、さらなる活躍を期待したいです






ヴェイグリーノーブルといえば、チチカステナンゴ産駒のキングズオブザサンと母クロウキャニオンベルキャニオンが、今年の3歳クラシック戦線に挑んでいます3頭ともオリオール持ちで、特にベルキャニオンは『女王の血統』にあたります。ちなみに『女王の血統』といえば、高松宮記念に出走するレッドオーヴァルも該当しております






クラシックには、ウインドインハーヘアの仔モンドシャルナがダービーを目指して奮闘中。既にリルダヴァルなどを輩出しているヴェイルオブアヴァロンの仔ヴォルシェーブは残念ながら脚を痛めて春は全休となりましたが、その目線は菊花賞に向けられているようです







世界を通じて今後も女王陛下に縁の深い血を持つ活躍馬は出てくるでしょうし、何よりエリザベス女王陛下の所有馬がダービーを制覇をする瞬間がやってくることを願うばかりです。その瞬間はぜひともエプソム競馬場で生で観たいものです













さて、長々と続いてきた今日のお話もここまで










この連載ではここまで数々の名馬、人を取り上げてきました






エアソミュールが武豊騎手で出走ということでちょっとした昔話を書いて以降



オルフェーヴル、ゴールドシップ、ニホンピロアワーズ、テスタマッタ、ロゴタイプカレンチャン、ホエールキャプチャブライアンズタイム、トウカイテイオー的場文男騎手メイショウマンボデュランダル、スズカフェニックス、キズナウオッカ、スターロッチ、キストゥヘヴン、そしてディープインパクト






名馬に歴史あり、ドラマあり。まさに名馬は一日にして成らずと言えますね





ん?名馬の中に人が一人混じってる?




的場文男騎手悲願の東京ダービー制覇に向けて、今日も元気に(元気すぎるくらい?)馬を追っています。昨日名古屋競馬場で行われた東西対抗ジョッキー名人戦では2戦とも勝利し、文句なしの戦功第一(褒美として高級ハムが送られていましたね笑)。
先日も大井競馬場で常識外れの追い込みを決めて、その魅力でファンをKOしていました。とても57歳の動きではありませんね。常識というものさしで測ることができないです










今日も、日本のどこかで、世界のどこかで馬は走り続けています





普段、私たちの目の前を走っている馬から、何十年後にとんでもない名馬が出現するかもしれません。それがまた競馬の魅力でもあり、血統の面白さだと思います





競馬には色々な楽しみ方がありますし、数え切れないほどの魅力が存在します





それを同世代の仲間と語り合え、競馬を知らない同世代にその魅力を伝えていく…





これがうまカレを創設した際の思いであり、後輩たちが今でもしっかり受け継いでくれているであろう思いでもあるでしょう






そんなうまカレに入って競馬をやりませんか?




もちろん考え方によるでしょうが、競馬って複数人で観たほうが不思議とより面白さが増すんですよね。



大学に競馬サークルがない方も、競馬サークルがあるもののうまカレに入りたいという方も、すでに大学に通っている方も




皆さん大歓迎です!



と引退した私が言うのもなんですが(笑)、後輩たちは歓迎しますよ。





私はうまカレを通じて様々な馬、人との出会いを経験させてもらいました。自身の競馬観に大きな影響を与えられる出会いも数多くありました





震災直後、ビッグゴールドに会いに行った際のアドマイヤフジとの出会いなどは、うまカレがあったからこその出会いと言っていいと思います




皆さんにも、うまカレに入れば、うまカレでしか出来ない経験、出会いが待っているかもしれません






私はうまカレがそのような場であり続けることを願っていますし、皆さんがうまカレに加入されることを願っています









この連載でメイショウマンボを取り上げた時に紹介した『メイショウ』の冠名でお馴染みの松本好雄オーナーの座右の銘を皆さん覚えていらっしゃるでしょうか






『人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる』




私、この松本オーナーの座右の銘、好きなんですよね。常日頃から競馬全体を考えていらっしゃる松本オーナーらしい座右の銘でしょう









うまカレの後輩たちには常にこの言葉を忘れずに、より一層競馬の魅力を広めていってほしいと思っています









以上、ここまで長々と連載を見ていただきありがとうございました!
また突然現れるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします(笑)






というわけで、早大お馬の会佐藤ワタルでした!



アディオス!


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全国の大学に在る競馬サークルのメンバーを中心とした競馬を愛する学生たちが既存の競馬ファンだけでなく、競馬をやったことのない人たちにも『競馬の楽しさや素晴らしさを伝えよう!』と立ち上げた学生団体です。

学生競馬ファンのリーディングとして、主に学生を中心とした同年代へ向けて、競馬の素晴らしさ、面白さを様々な視点やコンテンツを通じて紹介し、競馬文化の普及、競馬事業への文化的支援を行うことを目的としています。

オグリの時代に生まれた僕らで
オグリの時代の熱狂を、もう一度。

※2005年より20歳以上であれば学生でも勝馬投票券を購入できるようになりました※

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